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南伊勢をあるくvol.2贄浦編(三重県)

 

季節に応じて、出勤時刻の変わる仕事がある。「漁師」だ。24時間灯りの絶えない都会とは対照的に、南伊勢の夜は暗い。ましてや人工的な光のない海の上で、「日の出」を待って仕事が始まる。今回取材するのは、漁村の風物詩と言える水揚げの風景。

贄浦をあるく

贄浦(にえうら)は、三重県で初めて大敷網漁を始めた集落。また、伊勢神宮とも深い関係を保ってきた。「贄」という言葉は、神宮へのお供え物を「御贄(みにえ)」と呼ぶことに由来する。神々に捧げる食事を調達する場所を「御贄場」と言って、かつてはこの贄湾から伊勢神宮へ海産物が持ち込まれた。御贄場の浦方集落※だから、贄浦なのだ。

※浦方集落:南伊勢町内には38の集落が点在している。なかでも漁師町は名前の語尾に「浦」が名付けられていて、浦方集落と呼ばれる(贄浦を含めて全部で14ヵ所)。

暗闇に包まれた贄浦の漁港

11/19 5:30、贄浦漁港。

海は暗闇に包まれているが、贄浦漁港には灯がともっていた。漁師の水揚げを待つ人がいるのだ。星空と共に輝く早朝の仕事風景に心を奪われる。

大敷網漁(おおしきあみりょう)とは定置網漁の一種。海中に網を仕掛けて、その中へと魚を誘導して捕獲するのだ。その名の通り定置網の中でも大きいため、乗組員13人で漁へと向かう。

漁港に贄浦大敷の乗組員が徐々に集まり始めた。順に乗船し、船の縁に並んで座り、団らん。缶コーヒーを飲んでいる人もいる。

「飴玉いらんか」

差し伸べられた手の平の上には、数個の飴。目覚ましに大粒のものを一つ、口の中に放り込んで、親切な漁師さんにお礼を言う。

前日は大時化(おおしけ:海が荒れること)で、「漁に出られないかもしれない」と言われていた。出港の時刻になるとピタリと風が止み、すんなりと出漁が決まった。

乗組員が全員揃うと、船頭が海岸と船を繋ぐはしごを勢いよく投げて外す。はしごが地面に落ちる音が、早朝の静けさのなかに響く。それに続いて、出港を知らせるエンジン音が鳴った。

海の上の仕事風景

海を走ること10分。

大敷網が仕掛けられた漁場へ着くと、うっすらと太陽の光が山あいから射し始めた。明るみに照らされた漁師の表情は、真剣そのもの。さっきまでの穏やかな表情とはまるで違っていた。

漁師の仕事風景は、船に乗った人間だけが知ることのできる世界だ。多くの人にとって未知の仕事場には、自然と直接向き合うがゆえの緊張感がある。

一口に「漁業」といえど、ぼくが従事するタイの養殖とは、仕事の仕方も大きく異なる。13人で行う大敷網漁。巨大な網の構造は、船の上から見てもすぐに理解できない。乗組員たちが網を引き揚げていくと、その全貌があらわになる。

乗組員たちは船の片側に一列に並び、声を掛け合いながらロープを巻いて網を引く。

「カマスの群れや!」

乗組員が叫ぶ。

網の中では何匹ものカマスが回遊している。ヤガラの姿もある。海面を泳ぐ魚たちが水しぶきをあげて、船上はいよいよ慌ただしくなる。

タモ(玉網)ですくった魚を、船の中央で魚を大まかに選別。船上では即座に氷締めする魚と、生かして市場まで持っていく魚にわける。おこぼれを狙うカモメの大群で、上空もはなはだ慌ただしい。

「これで終わりや」

すべての魚をすくい終えると、船上の緊張の糸がプツリと切れる。漁港へ向かう船の上には、再び和んだ空気が流れる。缶コーヒーを飲みながら、水平線から見える日の出を眺めた。

帰港。そして水揚げ

漁港へ帰ると、種類ごとに魚を細かく分ける作業が始まる。選別台へ魚を流して、魚種ごとのカゴへ。魚を仕入れにきた仲買人や地元の干物屋が、入札に備えて水揚げされた魚を見に集まってくる。

贄浦の漁業は大敷だけではない。個人で水揚げする漁師も、まき網漁を行う大型船・開洋丸もいる。この日は開洋丸が休みのため、全体の水揚げ量はいつもより少ない。それでも、市場は人と魚で賑わっていた。

仲買人の一発勝負

 

入札は8時開始。参加者は手持ちの木札にチョークで値段を書き、一番の高値を提示した人が購入できる。値段は書き直せないので、一発勝負だ。市場の中を順番に回り、一つひとつの魚種ごとにこれが行われる。

「なっとな!」

と大きな声が響く。これは「なんてことだ」という意味の方言。狙っていた魚を他の人に取られ、つい口走る一言。笑顔で悔しがる仲買人の表情が印象的である。

朝一で水揚げされた魚は、仲買人の手でぼくたち消費者のもとへ運ばれる。

朝の贄浦市場には、生産地ならではの魅力が詰まっていた。

移住して大敷の乗組員へ

ここで、南伊勢町へ移住した漁師を紹介したい。

2019年2月、家族と一緒に名古屋市から移住した菊田敏希さん。阿曽浦の集落で暮らしながら、贄浦大敷の乗組員として働いている。

「名古屋市内の飲食店で働いている時、食材の仕入れのために産地を回ったんですよ。その時に食材の背景やストーリーを知って、どんどん興味が湧いて」

敏希さんが食材のストーリーをお店で話すと、お客さんに喜こばれた。更にその様子をを生産者に伝えると、生産者からも「ありがとう」と感謝された。

この経験がきっかけとなって、生産現場で働くことを決意。vol.1で紹介した友栄水産のインターンシップを経て、南伊勢町へやってきた。

菊田家の生活をたずねると、朝食と昼食は妻の真実さん、夕飯は敏希さんの担当だという。夫婦両輪となって家事・育児・仕事と向き合う日々。

「家族と一緒にいられる時間が増えて良かったですね」と、敏希さん。

子どもたちは前浜を走り回る。無邪気でとても人懐こい。カメラを向けると、笑顔で応えてくれたお兄ちゃん。

「前からこんなに元気だったんですか?」と聞くと、「元気だったんですけど、こっちに来てさらに爆発してますね(笑)」とのこと。

移住者夫婦のもとで育つのは、紛れもなく南伊勢町が故郷となる子どもたち。この町の空気を吸ってスクスクと成長する彼らの未来が楽しみで仕方ない。

南伊勢のコワーキングスペース

菊田家と話した場所は、贄浦を代表する場所だ。ここは地元の人から「前浜」と呼ばれていて、正月の弓引き神事や6月の浅間祭(せんげんさい)など地域行事でもよく使われる。

この場所をぼくが気に入っている理由は、海の手前のスペースが段々になっていて、座って作業がしやすいからだ。堤防の裏にあるコインランドリーで溜まった洗濯物を回しながら、待ち時間に作業することもよくある。

ぼくは阿曽浦の水産会社で働く傍ら、南伊勢町地域おこし協力隊として町内の人や仕事を取材して記事を書いている。

目の前の海を眺めながらパソコンを広げれば、普段は思いつかないことも浮かんでくる気がする。これはこの土地でライターをするとついてくる特典なのだ。

そんな海沿いの町らしい仕事場を利用しながら、「コンセントやwifi環境が整った作業場もあれば、南伊勢町はもっと暮らしやすくなるな」と思い始めたのがちょうど1年前。そして、2019年の4月から一軒の家を借り始めた。

次回は町内随一のみかん集落・内瀬と、海の見えるコワーキングスペース「しごとば 油屋Ⅱ」ができるまでのストーリーをご紹介します。

〈次回は、内瀬編!〉

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