「尾鷲に来て気づいたこと-そうだ、東京行こう-」鈴木教平さん/おわせ暮らしサポートセンター
職場:おわせ暮らしサポートセンター 担当:仕事バンクの充実/空き家を活用した移住体験宿泊施設の立上げ
任期:2016/3〜
尾鷲出身の母を持ち、自身は東京・台東区で育ってきた鈴木教平さん。明治大学卒業後、不動産デベロッパー、そしてベンチャーの広告代理店に勤務。尾鷲駅前にある学習塾の壁に貼られていた合格校一覧を思い出す。今も、そうしたキャリアを目指すのは日本のふつうだと思う。鈴木さんは、どんな思いで一度手放したのだろう。どうして尾鷲だったのか。訪れて1年半の今、尾鷲で見たものとは。
<こわいかもしれないけれど ふみこまなきゃ>
週5日、東京メトロ・日比谷線で中学校へ通学していたんですけどね。満員電車には慣れなかった(笑)。やりたい仕事に就いて、楽しいし充実しているけれど忙しすぎて。そのストレスは… きつかった。
「サラリーマンは自分の性分に合わない。起業して、サラリーマンより金持ちになって自由に生きよう」と思った。大学を出て、企業で4年間働いて、ずっと東京にしか住んでいなかったし。でもねー、こわかったんですよ。辞めるの(笑)。もしこれで失敗したら、かえる場所はないんじゃないか、とか。僕の場合は、東京が実家でもあるから。それでも、ふみこまなきゃ。なんとかしようと決めたんですね。
でね、せっかく東京を離れるからには、めいっぱい楽しんでやろうって。
<大局にアプローチできる仕事>
尾鷲に来たのが2016年の3月ですね。尾鷲に来たのは、小さいころから母に連れられて、毎年正月とか夏休みに来ていたから。それと、仕事内容。定住移住チームの募集をしていて。この仕事は幅が広いんですね。人はすぐに移住するわけではないから。入り口は観光だったりすると思うんです。そうすると、「この土地の生活に触れられる宿がもっとあってもよいのでは?」「それならば、空き家バンクに登録している物件を活用して、宿泊事業をはじめられないか」。次に、知ってもらうためには情報発信にも取り組んでいく… ソフトからハードまで、大局的なアプローチができうる仕事なんですね。
<ただのいなかっちゃそうなんだけど>
移住を考えるとき、家と同じくらいに大切なのが「仕事」ですよね。尾鷲市内の事業者さんを取材・紹介する「仕事バンク」を担当しています。驚いたんですよ。子どものころから夏休みのたびに訪れてきた尾鷲に「これほど面白い人がいたんだ」。ビジョンを持って働く人。「尾鷲はこうなっていかなあかん」とか。
僕が生まれ育った台東区は、一つの区で人口が18万人。かたや尾鷲市は人口2万人。規模は全然違うし、外から見れば、全国に数ある地方都市の一つにすぎなかったかもしれないけれど。まちのことを考えて、実際に起業したり、プロジェクトを立ち上げている人たちがいる。
たとえば、「葉っぱがシェフ」の平山さん夫婦。尾鷲に生まれ育ち、この土地にある植物を用いた料理を編み出しました。ご主人は元新聞記者、奥さんも主婦。飲食は未経験で事業をはじめました。
それから、夢古道おわせの伊東将志さん。はじめて出会ったのは、東京で行われた「地域仕掛け人市」での講演。地元の人でありながら、外の目線を持っているんですね。地元のお母さんたちによる「お母ちゃんのランチバイキング」。それから、尾鷲の木材活用を目指して、入浴木という取組みを行っています。
<再び東京へ>
僕は、地域おこし協力隊員としての活動を終了したら、ふたたび東京へ行こうと考えています。会社という枠を飛び出て、協力隊員として活動しつつ、自分で副業も試みて。
そうした中で、あらためて起業の力をつけたいという思いが強まった。自分でお金を稼いで生きていきたい。
じゃあ、どこから仕事ってはじまるのか。尾鷲で過ごす時間のなかで、人とのつながりから、仕事がはじまっていくことを感じて。その力は、今の自分にはない。今は東京でつながりをつける時期なのでは、と思ったんです。
東京はずっと住むには、ごみごみしすぎているし、色々思うところもあります(笑)。でも、まずは行ってみようか。
ゆくゆくは自分で生きる場所をつくっていけるようになりたいです。
<尾鷲市では、地域おこし協力隊を募集しています。こちらもどうぞ。>
12/2,3には、彼らを訪ねるツアーが行われました。こちらのレポートも公開します。参加できなかった方も、ぜひ。