海女のまち暮らし石鏡町にて、地域おこし協力隊募集 (前編)/三重県鳥羽市

Toba chairs(トバ チェアーズ)は、三重県鳥羽市が企画する仕事紹介プロジェクトです。紹介するのは、鳥羽市在住の2人のクリエイター。第5弾として、地域おこし協力隊を紹介します。

(文・写真 鼻谷年雄/写真 佐藤創/ ロゴデザイン 勝山浩二/ 編集・写真 Kii)

鳥羽の中心街から海岸線に沿ってパールロードを車で走り30分。今回の舞台は、太平洋の海原を見晴らす石鏡(いじか)町です。人口400人ほどの小さなまちで、地元で働く女性のほとんどが素潜りで魚介類や海藻を採集する海女です。しかし、後継者不足と住民全体の高齢化に直面していて、地域ぐるみで若い移住者を受け入れています。でも、その話は後で。まずはこの町のことを知ってください。

料理をきっかけに、人が集う「海女料理教室」

2018年11月、石鏡公民館で「海女料理教室」が開かれました。

お店や観光スポットの少ない石鏡町は、他地区の市民にとっても訪れる機会の少ないエリアです。そこで、料理をきっかけに、人が集う「海女料理教室」を開催。石鏡町の海女さんたちが、普段から食べている料理を一緒に作ります。企画したのは上田茉利子(まりこ)さんでした。

上田さんは、千葉県生まれ。早稲田大学卒業後は、東京の広告代理店に勤めていました。海好きが高じて海女になることを決意、2018年7月に石鏡町へ引っ越してきました。現在は、地域おこし協力隊としても活動しています。この日、上田さんは誰よりも早く公民館へ。

そして右手奥にある調理場へ向かい、何かをすすぎはじめます。あ、これってもしかして…。

「“カメノテ”です。貝のように見えますが、正しくはエビやカニの仲間で甲殻類なんだそう。昨日、近くの磯場でとってきたんです」

そうだ。以前に答志島を訪ねたときにも見ました。

「わたし、東京で働いていた頃から休日になると三浦半島へ磯遊びに行ったりしてたんです」

今日はこれをみなさんで?

「これはわたしからのサプライズ。お味噌汁に入れるとおいしいんですよ」

そこへ石鏡町生まれ・在住の里中晴好(はるこ)さんと山本美也代(みやよ)さんが到着しました。今回は、料理名人のお二人が上田さんの指南役です。タコ飯用のタコが冷凍保存されていることに気づいたはるこさん。さっそく指南が入ります。

はるこ あれ?あんたまだタコ解凍してへんのか〜!

上田 え、凍ったまま茹でるんじゃなくて? 

はるこさんの指摘を受けて、あわててタコの解凍にとりかかる上田さん。

11時になると、参加者が続々と集合します。この日は、鳥羽市内と伊勢市から10人の女性が集いました。

参加した方々も、それぞれ。長野県から鳥羽へ移住した美容師さん。結婚を機に大阪から越してきた女性は「魚の料理に慣れたくて、初めて石鏡町に来ました」と話します。

エプロンを用意して、みんなで料理開始です。


この日の献立はタコ飯、ヒジキの白和(しらあ)え、そしてメバルの煮付け。

下ごしらえはテキパキと進んだものの、いざ煮付けを火にかける場面でザワザワ。魚の肝を出すかどうかを話し合っているらしい。

「ワタ(肝)ごと煮て、臭くならないの?」と驚くのは、隣町の本浦からの参加者。石鏡町の料理名人から「お魚が新鮮だから、そのまま煮たほうがおいしいんですよ」の声。

今回は、海女の料理に若干のアレンジを加えています。ヒジキの白和えを作る場面で、町内から参加した主婦がこう話します。

「石鏡では、白和えはお葬式のときの料理。だから普段は作ることがなかった。でもこの白和えはヒジキが入ってて。石鏡のヒジキはうまいんよ。これやったら家でも作ってみたいな」

会話が途切れることのない調理場。みんなで料理をして気づいことがある。それは、小さな会話が生まれること。

「ああ、ええな、ええなあ」

調理が終わり、和気あいあいとした雰囲気で料理を運ぶみなさん。炊飯器の蓋をあけると、タコ飯のいい香り!

そしてみんなで「いただきます」。これがまたおいしい。上田さんがサプライズで用意したカメノテの味噌汁。こちらも香りが良いと好評です。

「ごちそうさま」の後、上田さんからお礼の一言がありました。続けて「みなさん、この箸袋に注目してください」と一言。

そこにあるのは「海女ゾネス」というコピーとツバメのシルエットでした。

「ギリシャ神話に登場する女性だけの狩猟部族“アマゾネス”になぞらえました。わたし、石鏡の海女は誇らしい女性たちだと思うんです」

ほお、と参加者たち。

ツバメの口元に「ヤァーイ」と吹き出しがあるけど、これは?

「ツバメは春になるとピーチクパーチク賑やかですよね。海女さんたちも漁の時期になると、朝から『ヤァーイ、あいなー』と大きな声でしゃべっているので、それを表現しました。これ、どうですか・・・?」ああ、ええな、ええなあ。拍手を受けて上田さんの表情が和らぎました。

後継者不足の直接的な原因は「海女さんが、自分の仕事を娘や孫に継がせなくなった」こと。背景には、いろいろな理由が想像されます。海女の仕事が命の危険と隣り合わせであること。一昔前まで、裸に近い格好で潜っていたことも理由の一つかもしれません。また、収益を支えてきたアワビは年々、とれなくなっています。海女さんは自身には誇りを持ちつつも、高度成長期の時代にあって、自分の子や孫には違う生き方をさせたかったのかもしれません。

上田さんの「海女ゾネス」は、そうした背景あっての提案でした。今後も、石鏡町の海女さんがとった海の幸の宣伝に活用していく予定です。

石鏡町に大切なこと。それは、出合い

参加者を送り出すと、ようやくひと段落。座敷でお茶会が始まったので、混ぜてもらいました。

ここで意外なことがわかりました。料理の指導を行ったはるこさん。上田さんとちゃんとしゃべったのは今回が初めてだという。上田さんが移住して、もうじき1年が経つというのに。

はるこ 石鏡の人はシャイなんですよ(笑)。でも出合いで一緒に仕事をしたからもう大丈夫。次に会ったら、道で声をかけられます。

「海女料理教室」では、料理を通じて、女性たちが和気あいあいと過ごす場面が見られました。その輪を静かに見守る男性がいました。石鏡町内会の山本都美男会長です。

「昔は“出合い”が多くてな。祭りのときには神社で大鍋を炊いてみんなで食べたり、葬式もみんなで準備をしたり。みんなが共同で仕事をする機会のことです」

高齢化も進み、出合いの機会が減りつつあった石鏡町。実は、今回のイベントが開かれるまで公民館は長らく人の手が入らなくなっていたそうです。使われない部屋には埃が積もり、周囲には雑草が生い茂っていました。

「昔は海女さんらがそこらじゅうで井戸端会議してた。しゃべりながら草抜いてたから道がきれいやった。いまは年をとって家から出られない人が増えたからな」

そう。上田さんの地域おこし協力隊としての活動は、石鏡町にあらたな出合いをつくること。上田さんは座敷からいらなくなった荷物を運び出し、畳を何度も雑巾掛け。調理場の壁と床はペンキを塗り直し、ついでに草抜きも。もちろん一人で行ったわけではありません。上田さんの熱意もあって、地区のみんなや市役所職員と一緒に取り組んでいきました。

そんな上田さんを見て、山本会長が一言。

「あの子はこっちが言わんでもやっていく。えらいもんや」

あ、そういえば上田さん、会食中に会長に何か言ってました?

「はい、小型船舶免許取得を報告しました」

船舶免許?!

「わたし、海女になりたいので」

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