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ここで豊かに暮らすには-市場経済にふりまわされない営みづくり-/那智勝浦町色川地区にて地域おこし協力隊募集vo.2/田中宏幸

<ぼくらがここで豊かに暮らすには-市場経済にふりまわされない営みづくり->

新幹線、高速道路ともに未開通。南紀白浜空港から車で2時間。熊野古道の世界遺産認定を受けつつも、東京からもっとも行きにくい土地の一つが那智勝浦町です。

その駅前からさらにうねる山道を進むこと30分。9集落に345人が暮らし、2016年に小中学校が新築された色川地区が現れます。

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住民の約半数が移住者。東京、大阪を中心に、日本全国から集まってきました。中心となるのはファミリー層。

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移住のはじまりは、1977年。40年の間に、「空き家問題」も「地元と移住者の関係問題」も「仕事がない問題」も一通り経験してきました。今、あらたな局面に差しかかっています。親の介護をきっかけに、ふたたび都市部へ戻る“介護帰省”者が現れたこと。移住者の子どもが都市部へ出ていくこと。

日本全国で移住定住が進み、2050年に直面するであろう「人の定着」。今、色川はこの問題について考えはじめています。

考えるのは、研究室でも、Macの画面上でも、プレゼン資料内でもありません。大学教授でも、クリエイターでも、コミュニティデザイナーではなく、ズブズブと生活を営む住民たちです。田畑を耕し、薪で火をおこし、小屋をつくることが得意な彼らと。ここで、一緒に、答えのない答えを探してみませんか?

色川地区では、5人目となる地域おこし協力隊を募集します。

採用前には、かならず現地へ来て、自分の目で確かめていただきます。まずは歴代の地域おこし協力隊へのインタビューコラムをはじめます。

色川地区は、これまでに通算4人が活動をしてきました。

興味を持ったら、まずは問い合わせてください。

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<「第2回 田中宏幸さんの話」>

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「すごいきれいなところやな」。コスタリカから帰国した田中さんが、はじめて色川を訪ねて思ったこと。「こんなとこ、住めたらええな」。和歌山県にこんな風景があるとは知らなかった。「でも、仕事ないな?」。パートナーのベロニカさんとの結婚を視野に入れていた時期だった。

この話は、田中さんが色川地区の地域おこし協力隊を経て、今に至るまでの話です。和歌山市出身の田中宏幸(たなか ひろゆき)さん。色川地区で2人目の地域おこし協力隊として活動しました。

<コスタリカから色川へ>

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よろしくお願いします。田中さんは色川に来る前、南米のコスタリカにいたんですよね。

そうです。高校までを和歌山市で過ごしたのち、東京の大学に進学、資源リサイクルの会社に就職しました。2年はたらいた2010年、青年海外協力隊として、2年間住んでいました。

コスタリカの日々には、今もたくさん影響をもらっているんです。

現地で、妻のベロニカさんと出会いました。2012年1月に任期を終えると、生活の拠点を探しはじめます。スペイン語と日本語の通訳としてメキシコに住むことも考えましたが、最後は日本で生活をしようと決めたんです。

帰国後は、どんな生活を?

生まれ育った和歌山で生活しようと決めていたんです。地元の和歌山市で仕事を探したものの、コスタリカでの経験を理解してもらえる企業になかなか出会えなくて。介護施設でアルバイトをしたり、JOCA(青年海外協力協会)でスペイン語を活かした臨時の仕事に就いていました。

そのかたわらで、那智勝浦町へ通っていたんです。2011年8月に起きた紀伊半島豪雨災害後の泥かきボランティアを必要としていたから。市野々(いちのの)地区で活動をしていると、青年海外協力隊のOBが町内の色川地区にいると聞いたんです。津崎兼一さんという方が、地域おこし協力隊をしていると。それが色川を訪ねるきっかけでした。

<「すごいきれいなところやな」>

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色川の第一印象は?

「すごいきれいなところやな」と思った。風景がコスタリカに重なったんだよ。それもあって、ベロニカさんと生活していくことを考えても「こんなとこ、住めたらええな」と思った。

2012年は、色川の小坂集落の棚田で米をつくる活動に3回通ったんです。そのうち、協力隊の津崎さんが地域おこし協力隊を卒業して、「炭焼きで身を立てていく」という。地区の人から「田中くん、協力隊のポストに空きが出る。やってみない?」と声をかけていただいて。

色川には色々ななりわいの人がいたんです。農業で生計を立てる人、10年かけて培った下選出材という技術を活かして、山の手入れをする人、農機具修理で起業した人。

じゃあ、自分はどんな仕事をしていけるんだろうか。

自分がここで生活していく道を見出せたらと思って、2013年1月に、地域おこし協力隊になったんです。

<田中さんにとっての協力隊>

どんな業務に取り組んできましたか?

色川の今を、出身者に届ける“色川だより”という冊子があります。地元の人々と一緒に、編集会議をしたり、記事のインタビューをしました。それから、ぼくのときは、獣害対策もしました。猟友会が行う鹿の解体の手伝い。畑にサルが出たと連絡を受けて、ロケット花火で追いはらいに行く。着火にコツがいるんです。タイミングを間違えて手元で「あちい!」。山の中でサル追いかけるうち、道迷って「あれ、どっちから来たっけ」そんな失敗もありました。

こわいなぁ(笑)。

あとそうそう、字(あざ)地図をつくったよ。9集落からなる色川地区は、小坂や大野という大字(おおあざ)の下に、小字(こあざ)があって。実は地名は、重要な情報を含んでいるんだよ。たとえば“仏“という字がつく地名は、地盤がしっかりしていると言われます。

地域おこし協力隊には、「ゲストハウスをつくる」「カフェを運営する」といった起業型も増えています。一方、色川の地域おこし協力隊は生活の中で「困った」「やりたい」と思うことが出てきたときに、お手伝いをする「地域住民のサポーター」というもの。

任期の中で、変化はありましたか。

はじめは“自分がよいことをしてやろう”という意識が強かったと思う。たとえば物販をもっとPRしようと思った時期もあった。でも、そこにリアルさがないことに気づくんです。協力隊はサポーターであって、あくまで主体は地域。協力隊というのは、いなくてもできるけれど、あると楽になる。そんな存在だと思うんです。

住民の人同士のやりとりを見ていると、みんな人知れずよいことをやっているんです。たとえば草刈り。ある地元の人は誰に頼まれるでもなく、人の手が回らなくなった土地の草刈りをしているんです。別の人が「彼には頭が上がらない」って。そこに暮らす人は、ちゃんと気づくんだよね。

協力隊として、地区の活動をしてお金をもらっている内は、第3者なんだよね。住民になって、年月をかけつつ、交流と対話を重ねていく。そして、無理のない範囲で自分のできることをする。自分のできることをするのが当たり前になって、外から見るとありがたいことになっている。

そういう人は、身近にいなかった?

いたけど、気づいてなかったと思う。ほんまに。自分が、自分が、と思っている間は、絶対気づけへん。余裕がないし、周りが見えなくなってる。

住民になって、腰を落ち着けて周りを見ると「あ、ここもやってくれてたんだ」「なんてありがたいんだろう」とあらためて思ったなぁ。住民になるっていうのは、すごく感謝の気持ちが出てくると思う。

<ぼくがここで暮らしていくには>

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色川で生活していく上での不安はありましたか?

「どうやって、生きていくんやろう」。

すごく考えたよ、すごく。まずは日々の生活もけっして余裕はなかった。当時、地域おこし協力隊は日給6,200円でした。コスタリカで結婚式を挙げるための、お金を貯めること。そして、二人が生活していくこと。

でも、まわりの人がそれとなく助けてくれたんです。移住者のご近所さんが、自分で釣ってきた魚くれてね。でも、ぼくは捌けやん。またご近所さんとこ持ってって(笑)。「半分こしてもらえたらいいので、その代わり料理してもらえませんか」と。地元の人からも野菜をいただきました。協力隊の制度そのものを改善できないかと考えてくれる人もいました。人がほんまやさしうてね。すごいお世話になった。ほんまに感謝やと思う。

協力隊の任期後、仕事はどう考えたんですか。

ぼくは那智勝浦町役場の職員になったんです。

協力隊をしながら、ずっと考えていたよ。ぼくは何を仕事にできるんやろ?って。地域おこし協力隊の仕事をしていく中で、月一の報告会もあって。地域と行政の意思疎通に温度差を感じて。まちの人は何年住んでいても色川に行く機会がない。逆に、僕は色川しか知らない。那智勝浦町を知ることも大事だと考えてね。ちょうど、那智勝浦町の役場職員募集は、年齢が30歳まで。受けてみたいと思った。

今、仕事の上でどんなことを考えていますか。

二人の子どもがいる中で、なかなか動けないのが現状です。そうした中でも自分にできることってなんだろうか。

この間、職務中にふと住民の方から「自分らの地域はどうしたらよいのか」と聞かれたんです。過疎が進み、資金も潤沢にはない。きっと、一朝一夕ですべてを解決する答えはないと思うんです。

色川は、地元の人とIターン者が関わりあいながら、40年間営んできました。きれいごとだけじゃなく、ケンカもあったと聞きます。おかげさまで、日々の人との関わりから、見えるヒントがあります。那智勝浦町内の他の地域の方に求められたとき「こういう考えかたもできませんか」と話せたら。

<今を生きる>

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田中さんは、色川に家を買いましたよね。

うん。家を買ったのは「ここに住む」って意志表明です。協力隊の活動をとおして、地元の人と話す中で、そうしたいと思った。

役場ではたらいていると「市街地に住んだほうが楽じゃない?」と言われることもあります。ぼくは外ではたらきながら、色川に住むのも一つの道だと思う。今後は、仕事の上でももっとつながってくればと思います。そうそう、ご近所さんから「役場で働く人が色川におるのは、安心だよ」と言ってもらったのはうれしかったです。というのも、ここ数年色川から役場へ勤める人がいなかったんです。

田中さんから見た色川って、どんなところですか。

色川にいてる人って、走りながら考える人が多い気がします。目の前の現実に臨機応変に対応する。瞬間瞬間の選択が、ちゃんと次につながっていく。

田中家も「この先、どうするの」って聞かれても、何が起きるかはわからない。長男ということもあって、実家のある和歌山市に行かなアカン状況がないとは言いきれん。でも、今を全力で走ろうと思っています。

興味を持ったら、まずは来てみてはどうでしょうか。

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<募集要項>

法人名 和歌山県那智勝浦町色川地区
募集職種 地域おこし協力隊
雇用形態 非常勤特別職
採用日から最大で3年間まで更新
給与 月166,000円
福利厚生 社会保険加入・雇用保険加入・厚生年金加入/活動用燃料費(10,000円/月まで)
家賃補助最大15,000円
仕事内容 1.色川地域の情報収集・発信・広報活動
2.色川地域の歴史文化・生活技術・行事・風習・地名などの記録、写真の収集・保存
3.移住・交流、体験観光の推進
4.地域の課題の整理、対策の検討と実施
5.色川地域の各種団体・活動の支援、連携促進など
勤務地 那智勝浦町色川地区
勤務時間 38時間45分/週程度の勤務
応募資格  資格経験学歴は問いませんが、仕事・生活に自動車の運転は欠かせません。
採用予定人数 2名
応募の流れ まずは下記よりご応募・お問合せください

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(写真と文:大越元)