地域おこし協力隊の佐藤さんが、鳥羽なかまちの「はじめちゃん」になるまで

1.イエンスの塔が誕生するまで

年間約85万人が訪れる鳥羽水族館。ここから徒歩圏内に、かつてたくさんの店が建ち並び「鳥羽の台所」としてにぎわったエリアがあります。住民たちは自ら「鳥羽なかまち」と名付け、目立ち始めた空き物件のリノベーションを始めました。

2020年10月20日、鳥羽なかまちに「Cafe&Atelierイエンスの塔」がオープンしました。事務所兼カフェとして活用するのが、映像作家の佐藤創(はじめ)さんです。佐藤さんは、2017年7月に地域おこし協力隊として鳥羽市へ移住しました。そして3年の任期を務め上げたのち、鳥羽市で独立しました。

どちらかといえば職人肌で口数が少なめの「佐藤さん」でしたが、いまでは町中のどこに行っても「はじめちゃん」と呼ばれ、地域に欠かせない存在となっています。

2.CGアニメーターとしての仕事

東京都あきるの市に生まれた佐藤さんは、京都精華大学を卒業。都内のテレビ番組制作会社へ就職しました。CGアニメーター兼デザイナーとして働くかたわらで、アートアニメーションのアーティストとしても活動をしてきました。やがて独立を考えるようになり、28歳で退職。「過当競争気味の東京よりも、地方で仕事がしたい」と、鳥羽市の地域おこし協力隊に応募しました。2017年7月からの3年間は、鳥羽市役所企画財政課に席を構え、PR映像やポスターの企画制作に取り組んできました。

佐藤さんが手がけるCGアニメーションは、伊勢志摩鳥羽でもまだまだ珍しいもの。唯一無二の技術を発揮しつつ、地域の要望にもしっかりと応える仕事ぶりは、鳥羽市内ですぐに評判となりました。

CGで描いた猫が漁師町の石鏡町を駆け回る「うみねこ いじかさんぽ」は、2019年度の三重県広報コンクール映像部門で特選を受賞。市外からも仕事のオファーを受けるようになりました。

3.趣味の料理はやがてカフェに

結果を積み重ねることで、仕事における信頼を着実に得てきた佐藤さん。

暮らしはどうだったのでしょうか?着任当初をこう振り返ります。

「仕事をしに来ただけのつもりだったので、暮らしには興味がありませんでした」。

当時の佐藤さんについて、大庄屋かどやの管理人である廣野克子さんはこう話します。

「着任した当初は、無口で、笑わなくて。正直、とっつきにくいなと思いました(笑)」。

そんな佐藤さんですが、移住を機に料理を趣味にしていきました。そのことを知った廣野さん。かどやで開催される料理教室の講師として、佐藤さんを招きました。すると、鳥羽の新鮮な魚を活かしたアレンジ寿司が大好評でした。「みんなが『おいしい、おいしい』と口にしていたら、彼の表情が明るくなっていきました」。

料理は、佐藤さんとともに地域活性化を進める住民団体「鳥羽なかまち会」でも評判でした。女子美術大学の学生たちをもてなしたパーティーで料理を振る舞ったことを機に、佐藤さんは本格的に料理を始めました。

「いまの『はじめちゃん』は気軽に話し掛けられます。この町のことをよく見ているなと驚かされることもあって、しっかりとした青年だったんですよ」と、廣野さん。印象が大きく変わりました。

一方の佐藤さんは鳥羽なかまちについて、「商売をしてきた人が多いので、僕らのようなフリーランスや自営業にも理解があってほどよい人付き合いができます」と、この町で暮らしてきた実感とともに語ります。

4.イエンスの塔から、たこ焼き店が生まれた

地域おこし協力隊の任期中は、鳥羽なかまちにあるアパートの一室に住んでいた佐藤さん。3年目に差し掛かり、任期満了後鳥羽市に住み続けることを考えます。新たな仕事場と住居を探し始めると、人づてに一軒の空き物件を紹介されました。そして佐藤さんは、元理容室の3階建ビルを購入すると、人生初のセルフリノベーションに挑戦しました。内装のイメージを描くと、壁面に木材を張り、床を塗っていきました。椅子やテーブルも手製です。独特な空間へと生まれ変わらせていく様子を、鳥羽なかまちの人たちは興味深く見守りました。

「映像作家として仕事をする上では、アパートの一室でもよかったんですけど。地域おこし協力隊として住民のみなさんと活動をしてきて、やりきるのであれば、店を1軒オープンしたいと思いました。鳥羽なかまちには、すでにリノベーション店舗が数軒あります。僕もその一つとなることで、空き家問題にも少しだけ力になれたらと思いました」。

そうしてオープンした「Cafe&Atelierイエンスの塔」。1階部分に位置するカフェは、オープン直後から地元の人や観光客でにぎわいました。今後は、2階部分もカフェとしての活用を検討しているのだとか。ちなみに3階を映像制作の仕事場兼居住スペースとし、1階を映像制作の打ち合わせスペースとしても活用しています。

イエンスの塔をきっかけに、嬉しいハプニングも起きました。鳥羽なかまちに住む世古明美さんが、影響を受けてたこ焼き店を始めたのです。2020年11月に、たこ焼きと焼きそばのお店「わらい屋」をオープンしました。

佐藤さんが「空き物件を店として生まれ変わらせる」と奮闘した結果、早くも2軒目のお店ができたのです。

これは、鳥羽なかまちの住民にとっても、喜ばしいニュースでした。鳥羽なかまち会、そして合同会社NAKAMACHIとして活動する西念寺住職の筧佳人さんは、嬉しそうな表情でこう話します。

「まちづくりとして、理想の形。わたしたちが目指してきたこと、そのものです」「はじめちゃんが町に新しい刺激を与えてくれたおかげで、わたしたち地元も頑張ることができました。移住した彼があれだけやるんだから、地元にいる若い人らももっと出てきて、一緒にがんばりたい」。

筧さんは、今後に期待を膨らませています。

5. 鳥羽市では地域おこし協力隊を募集しています


三重県内の地域おこし協力隊向けの研修を行う佐藤さん

2020年12月31日。独立1年目の大晦日に佐藤さんを訪ねました。

「独立したら生活に困窮すると思っていたんですけど(笑)、1年目から、仕事のお声がけをいただいています」と佐藤さん。映像制作を中心に、パンフレット制作などのデザイン業務、そして市内の小学校などで「教える」仕事も行っているとのこと。

フリーランスとして独立する上で、苦労することの一つが「(制作のスキルはあるけれど、)仕事を受注できない」点といわれます。独立に向けた助走期間として、東京を離れた佐藤さん。地域おこし協力隊としての3年間を通して、映像作家としての経験値を積み重ねてきました。そこで培われたのは制作の技術だけではありません。人と信頼関係を築くことであったと思います。

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