南伊勢をあるくvol.1阿曽浦・道行竃編(三重県)【後編】

集落で一番高いところ

阿曽浦には、浅間山(せんげんさん)がある。ここは富士山と関係のある民間信仰で、集落の高いところを富士に見立てて祀っている神聖な場所だ。

年に一度、六月に浅間祭がある。集落の代表者たちが大きな竹を持って山を登り、皆で家内安全や大漁祈願をしてくる。前日には出会い作業があって、住民総出で神さまの通り道を掃除する。

頂上への道の途中で振り返れば、日々生活する町の営みが見える。上から眺めれば、集落の形がよくわかる。海に囲まれた綺麗な土地だ。

この土地には、浅間山以外にも多くの神さまが住んでいる。生活のなかに神さまが溶け込んでいるのだ。海の上にポツリと浮かぶ弁天島には、海の上の安全を司る神さまがいる。「弁天さん」と、呼び親しまれる。

路地裏で生まれる会話

漁村の路地は魅力的だ。限られた場所にギュウギュウに家が並んでいるから、まるで迷路のように狭い道が入り組んでいる。

時間がある日はカメラを持って、あてもなく路地を散歩する。出会った人には挨拶して、立ち話。そんなありふれた日常が、都会育ちのぼくにはおもしろくて仕方がない。

運の良い日には、干物や釣れた魚をもらえることがある。今日はありがたいことに、シイラの干物をいただいてしまった。これは晩御飯のおかずになる。

道行竃をあるく

人口38人の小さな集落。山あいには2つの滝があって、川沿いに沿って田んぼの風景が広がっている。貯水池や水路・獣害対策の網に至るまでが、しっかりと整備されている。2018年からは近隣の大学や町役場を巻き込んで、酒米作りが始まった。

入り江の奥にある集落

南伊勢町では海沿いの漁師町のことを浦方集落と呼び、名前の語尾に「浦」がつく。阿曽浦もそのひとつだ。そして浦方の周りには、竈方集落と言われる場所がいくつかある。語尾に「竈」がつく集落のことだ。

阿曽浦の海岸線に沿って山の方へ歩くと、道行竈(みちゆくがま)へ繋がっている。この集落は、目の前に海があるのに「農」を営む人ばかりだ。かつては製塩も盛んに行われていた。

今は人口も減って、使われなくなった田んぼや畑が多くある。しかし、耕作放棄地を利用した酒米作りやバイオマスの導入など、最先端の事例を生み出す集落でもある。

取材日には、たまたま東大生が二人。二十日滞在して、地域の暮らしをリアルに勉強している。「おすそ分け・助け合い・つながり……」。彼らに道行竃で感じていることを尋ねてみると、そんな言葉が出てきた。

8月に道行竃で収穫した酒米は伊賀市で醸造され、1月からは日本酒の販売が開始される予定だ。商品名は地域の想いを込めて、「道行竃」。ぜひ南伊勢の魚をつまみに味わってもらいたい。

お昼は三栄食堂へ

12時の合図で、町にはエーデルワイスの曲が流れる。友栄水産の漁師たちが海から戻ってくるので、合流して三栄食堂でお昼ご飯だ。

この食堂の名物は、主役が隠れるほど卵が乗ったカツ丼だ。この地域の人たちは、カツ丼を好んで食べる。唐揚げも根強い人気がある。

漁師は外食であまり魚を食べない。家にあるから、当たり前といえば当たり前。せっかく外に来たら、肉を食べようという気分になるもの。注文する品々に、漁師の日常が詰まっている。

ぼくはその日、生姜焼肉定食をいただいた。暑いといっておでこに熱さまシートを貼るおじいちゃんが運んできてくれた。取材1日目は、これにて終わり。

むすび:海暮らしの贅沢

暮らしには色々なカタチがある。都会で暮らしていた頃はもちろん便利なことが多かったし、多様な人との出会いや経験があった。

田舎暮らしでは、出会う景色や人との関わりに都会ほどの変化はない。だからこそ、一つひとつの物事と丁寧に向き合えている気がする。

堤防の上は、ぼくが何よりも好きな場所。海を眺め、波の音を聞きながらビールを飲んで寝転ぶ。無駄なことができる余白が、生活のなかにある。それが贅沢の意味だと気づけたのは、この暮らしのおかげだ。

どこまでも続く青色を眺めて、南伊勢の海暮らしに思いを馳せる。阿曽浦の生活はもうすっかり、ぼくの日常になっていた。

〈次回は、贄浦編!〉

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