御燈祭のわらじ・荒縄づくりを継業する/和歌山県新宮市
538 段の石段を、男たちが松明を持って駆け下りる。世界遺産の神倉神社を舞台に、全国でもっとも古い火祭りである和歌山県新宮市の御燈祭(おとうまつり)。
和歌山県フォト博物館より
今回は「祭りに携わるつくり手」を訪ねました。
御燈祭お燈まつりの神事が行われる神倉神社から、自転車で5分ほどの元鍛治町。松明、荒縄、わらじの製作や販売に携わっている堅田裕見子(かただ ゆみこ) さん。祭り直前のこの日は、腰に巻く荒縄をつくっていました。
堅田さんが荒縄・わらじづくりに携わりはじめたのは5年前のこと。
「昔から、父親やおじたちが松明(たいまつ)づくりの手伝い、販売などに携わるのを見てきました。父が亡くなった後、必然的に、『今度は私がせんなんのかなぁ』と思って、今に至ります」
堅田さんが携わってからの数年間でも、周囲の状況が変わっていった。つくり手の高齢化、紀伊半島大水害での大きな被害。販売店、つくり手が年々減っていく。
このままでは、祭り自体は続いても、荒縄やわらじが手に入らなくなるかもしれない。
「教えてくれる人がいるうちに」と時間を見つけては、荒縄やわらじのつくり方を教わりにいった。
「まず縄をなうところから大変でした。最初はなかなか思うようには、太さや、形も揃えることができませんでした。こんな調子で本当に私につくれるのか… と思ったこともあります」
何度か通い続け手順を覚えると、製作の準備にとりかかった。材料となる稲わらはどこで手に入るのか、木槌(きづち)などの道具、作業場をどうするか。一つ一つ手探りだった。
「木槌をもらったり、荒縄を押さえる機械も近所のおじちゃんがつくってくれて。なんとかしなければならないという思いが、少しづつ周囲に伝わって、多くの人に助けてもらっています。でも、一人でつくることのできる数は限られます」
ところで、堅田さんの本業は理容師。自身で店を営んでいる。くわえて、家事と子育てもある。祭りの直前にバタバタしないよう、本業の合間に、一年がかりでつくっている。それでも、この時期になると体が5つぐらい欲しくなるという。
「毎年必要な数が違うので。前年の数から予測してつくりますが、当日に駆け込みの方もいて、準備していてもどうしても忙しくなってしまいます」
新宮市内には、御燈祭の道具の販売店が数カ所ある。
堅田さんは「毎年自分のところへ来てくれるお客さんの分は、まかなうことができる。けれど、祭り全体を見たら、足りていない現状がある」という。
「近い将来、つくり手はいなくなるかもしれません。現状を、祭り関係者の方たちはどのように思っているのでしょうか。後継者育成を真剣に考える時期が来ていると思います」
御燈祭を囲む環境も変わりつつある中、これからのわらじ・荒縄づくりはどうなっていくのだろう。
堅田さんの隣でわらじづくりを手伝っていた、宮川裕大(ゆうだい)さんにも話を聞いてみました。
彼は年の4ヶ月間を新宮市で、残りを歩く旅に出ています。神倉神社のすぐ横にある私設図書館Youth Library(ユースライブラリー) えんがわ(リンク)の館長でもあります。
「堅田さんに教わり、3年前からわらじを編んでいます。 実際に自分でつくると、木槌でわらを柔らかくするのは腕が痛くなるし、縄をなう作業も全身を使います」
気づいたのは、大変さだけではない。
「堅田さんが頑張っているのを横で見ていて、祭りを陰で支えている人を知ってもらえたらいいな、と思うようになりました」
「たとえばわらじを50足つくるのに。1人で50足編むのは、個人への負担が大きいと思います。でも5人が10足つくるなら。そんなに大変なことじゃないと思うんですよね。経験してみてわかったのは、わらじづくりは特別な技術ではないということです。教われば、つくれるようになると思います。数足でもつくりたいという人が増えたらうれしいです」
わらじづくりで学んだ技術は、他のものづくりでも活かせるという。
「縄がなえると、鍋敷きやランプシェードもつくれるようになります。僕も、つくっていきたいです。今後のことを考えると、現状を多くの人に知ってもらえた方がいいよなと思い、今回はKiiさんにお話をしてみました」
最後に、堅田さんから御燈祭に参加する上り子さんへメッセージがあります。
「祭りの後、荒縄とわらじを道ばたに放っていく人が多いのが悲しいです。わらじは使いきりだけど、激しい祭りに耐えられるように、しっかり編んでいます。荒縄は使用後にうまく切ったり、継ぎ足すことで、数年間使えるんです。上り子さんが思いをこめて石段を上るように、つくり手も思いをこめてつくっています。大事に使ってもらえるとうれしいです」
(文:宮川裕大・大越元 写真:大越元・宮川裕大)