菅島小学校の統廃合問題が住民を動かした。菅島の未来を考える会による島づくり
1.菅島小学校の統廃合問題を機に、動き出した住民たち
三重県鳥羽市の離島、菅島(すがしま)。約500人が暮らしています。
鳥羽マリンターミナルから市営定期船で約13分。菅島港に降り立つとすぐ正面に、鳥羽市立菅島小学校の校舎が迎えてくれます。
菅島小学校は、ここで生まれた住民には愛着のある母校であり、移り住んだ人にとっても子どもたちが通う希望のシンボルです。
2016年6月、菅島に驚きのニュースが舞い込みました。2015年11月に鳥羽市教育委員会が策定した「鳥羽市小中学校統合計画」において、菅島小学校が統廃合対象校となったのです。計画には、「全校児童20人未満の小学校は、近隣の学校に統合する」というルールが設けていました。
島中が戸惑う中、立ち上がったのは島の若者たちでした。2016年7月に「菅島の未来を考える会」を組織すると、教育委員会と話し合いました。
そして、2017年。統廃合延期の合意をとりつけました。
この時こそが、菅島の未来を考える会における本当の意味での「未来」へのスタートとなりました。
2.菅島の未来を考える会による取組み
2020年12月1日の夜、菅島にある「ギルドハウス菅島」で、菅島の未来を考える会の定例会議が開かれました。菅島の未来を考える会は、刺し網漁師、ノリ養殖漁師、郵便局員、市営定期船員、お寺の住職、漁協職員、渡船業者などを営む20代から50代のメンバーたちが5班に分かれて活動しています。この日は10人が集い、活動報告を行いました。
空き家班による移住モデルハウスづくり
2020年9月、空き家班は移住のモデルハウスづくりに取り組み始めました。
対象物件は、木造2階建ての空き家。
「西向きに広い空き地があるため、日当たりは最高です。外で子どもが遊んでいても、必ず近所の人が見守ってくれるから安心ですよ」と、空き家班リーダーの中村有希さん(33)。
現在はセルフリノベーションに取り組んでいます。ポロポロと砂が落ちる砂壁に白い漆喰を塗ると、明るく広がりのある空間へと印象が変わりました。有希さんを手伝うのは、「離島留学班」リーダーの井尻宏嗣(いじりひろつぐ)さん(40)。離島留学班では、島外の児童の留学招致に向けて取り組んでいます。
「キッチンやお風呂といった水回りは家主の方が改修を済ませていたため、そのまま使える状態です。離島暮らしに興味のある人が、一定期間お試しで住むことのできる“移住モデルハウス”にしようと考えています」
井尻さん(左)と中村さん(右)
中村さんは市営定期船の船長、井尻さんはお寺の住職を務めています。仕事や育児の合間をぬって、菅島の未来を考える会の活動に取り組んでいます。
漁業班による新たな一手「スジアオノリ」
四方を海に囲まれた菅島の主産業は、漁業です。クロノリやワカメの養殖栽培を中心に、伊勢エビの刺し網漁、一本釣り、海女さんによる漁も行われています。
しかし、漁業を取り巻く環境は、変化を求められています。地球温暖化等にともなう漁場の変化、燃料費の高騰、漁獲高の不安定。
人口の減少や少子高齢化が進み漁業者が減少していく中、漁業班の若手漁師たちは新たな取り組みをはじめました。
漁業チームの悠太さん、陽介さん、幸俊さん
スジアオノリの養殖です。スジアオノリは、アオノリの中でも香りが高い品種です。
高知県の清流・四万十川の河口域で特産となっているこの高価な海藻を、菅島の新たな養殖品目にするべく、生産の試験に乗り出したのです。先行して取り組んでいる三重県志摩市の三ヶ所地区から使わなくなった漁具を譲り受け、2019年に初めて収穫を行いました。。
しかし、2020年の取組では課題が残りました。
「加工段階で粘り気が出てしまったんです。収穫と乾燥の間に1日おいたのが原因かもしれません。来年の課題です」と、漁業班リーダーの木下裕滋さん(27)。
菅島の未来を考える会では、今後は移住者とともに活動をしていきたいと考えています。裕滋さんは、スジアオノリ養殖が新たな産業として、移住者の仕事になることを期待しています。
商業観光班によるコロナ禍でのPR活動
コロナ禍は、離島のPR活動にも大きな影響を与えました。2020年9月から10月にかけては、オンライン企画「お茶の間島留学」に参加。利尻島(北海道)、沖永良部島(鹿児島県)とともに、離島での生活に関心がある都市部の人々と交流を図りました。商業観光班の松村忠勇さん(29)は、「手応えあったよ。菅島は、一緒に参加していた島にも負けてへん!」と気合い満点。
小寺雄一さん(左)と忠勇さん(右)
またこの日は、東京からオンラインによる参加がありました。獣医学を学ぶ大学生・横尾総一朗さんは、お茶の間島留学を機に菅島に興味をもち、会議のオブザーバー役を務めました。
横尾さんからは、「島内にはまだ空き家がありますか?そのうち何軒をリノベーションする予定ですか?」といった質問がありました。今後、菅島の未来を考える会に必要なことは、このように島に興味を持った人たちとの協業かもしれません。委員たちは、自分たちよりもさらに若い横尾さんの率直な質問や指摘を真剣に受け止め、吟味していました。
なお菅島の未来を考える会には、女性メンバーも参加しています。情報班リーダーの小林さんは、菅島の未来を考える会のWebサイトを開設後、コツコツと情報発信を行っています。
3.チャレンジが生み出すもの
これまで紹介してきたように、菅島の未来を考える会の活動は「移住促進、漁業、島のPR」と多岐に渡ります。菅島小学校の統廃合問題をきっかけに設立した会が、どうしてこれほど発展したのでしょうか?
小寺雄一さんとめぐみさん
菅島の未来を考える会の会長であり、鳥羽菅島郵便局を営む小寺雄一(37)さんはこう話します。
「小学校の統廃合計画に反対するだけではなく、自分たちで何かしなきゃいけないと思ったんです」
どうして子どもが減少するのか。その原因を探ると、「若い世代の島外流出」や「男女の役割が固定化されており、女性の居場所や活躍の場がすくないこと」が見えてきました。今後も子どもたちの笑い声が路地にとどろく菅島であるためには、変わらなければならないことがたくさんありました。
空き家のリノベーションも、漁場での養殖試験も、根の深い課題です。若者たちの力だけで解決することはできず、様々な島民の協力が必要不可能です。
そんな菅島は、今変わろうとしています。
「ぼくらが何か新しいことをしていると、近所の人や同業者が『どうだ?』って様子を見に来てくれるんです」
若者のチャレンジが、島全体に刺激を与え、活気をもたらしつつあります。
4.菅島を選んだ人たち
菅島の未来を考える会のメンバーたちが、島で暮らす姿を紹介します。
松村悠太さん(黒ノリ漁師)
菅島のノリ養殖の家に生まれた悠太さん(20)は、両親から「島を出て行け」と言われていました。伊勢市の私立高校へ通っていた悠太さんは、進学か就職を選択肢としてありましたが、高校2年生の時、漁師になることを決断しました。
「漁師になった同級生はほとんどいません。親には反対されたけれど、恩返しをしたい気持ちがありました。今は楽しいですよ。みんな仲がいいし、先輩たちが助けてくれますから」
肉厚で香りが高い絶品クロノリ
悠太さんが育てたクロノリは、養殖網から摘み取ったのち、島内にある共同加工施設で板ノリに加工されます。かつては、港に並び立つ小屋で生産者が別々に作業をしていました。
木下陽介さん(伊勢エビ漁)、中村吉伸さん(漁協職員)
黄色いカッパを身に着けた陽介さん(39)は、父親とともに刺し網漁を営んでいます。午前4時に漁船が出港すると、沖に仕掛けた網を引き上げて、午前7時頃に帰港。網にかかった伊勢エビや魚をカゴに入れ、市場に納めます。
陽介さんからカゴを受け取るのが、漁協職員の中村吉伸(25)さん。高校卒業後、名古屋市にある工場で働いていました。
「いずれ帰ろうかと思っていたら、漁協に求人が出ました。そのタイミングで、父から『戻ってこい』と言われたんです」
吉伸さんは、魚種別の水槽へと移し、競りを待ちます。
小寺雄一さん、小寺めぐみさん(菅島郵便局)
菅島の未来を考える会の個性豊かなメンバーをまとめる雄一さんは、島内唯一の郵便局の職員。愛知県で働いたのち、地元へ帰ってきました。妻のめぐみさんは、結婚を機に菅島へ。義母から教わり海女としての仕事を始め、魚食の普及活動にも取り組んでいます。
菅島保育所に通う2人の子どもがいる小寺一家。2016年に浮上した菅島小学校統廃合計画は、切実な問題でした。「やっぱり、学校は歩いて通える場所にあってほしい」と話します。
岐阜県で育っためぐみさんは、菅島の何気ない日常に魅力を感じたといいます。
「小学校への通学路にお地蔵さんがいます。小学生たちは、おばあちゃんたちが手を合わせる姿に自然と触れます。この島の何気ない日常が、子どもたちを育んでくれます」
5.子どもが育ち続けられる島をつくるには
菅島小学校は、2019年度に鳥羽市内のコミュニティ・スクールとなりました。文部科学省が進めるコミュニティ・スクールは、地域の声を学校運営に活かす「地域とともにある学校」づくりの制度です。鳥羽市教育委員会と菅島住民が協議会をつくり、会議を重ねています。
一方で、児童数が減少を続けていくと、統廃合の問題が再燃する可能性もあります。
「おはようございまーす!」
漁船の往来がひと段落し、通勤通学者が定期船で本土へと離れて、島が少し静かになった午前8時。ランドセルを背負った児童たちが、菅島小学校へ登校します。
小学校に隣接する保育所からも、北風を吹き飛ばすような園児たちの元気な声。そして、女性たちが気ままに過ごせる場として開催される子育てサロンには、乳児を連れたお母さんたちが集まりました。
5.移住者とともに島づくりを
2016年に菅島小学校の統廃合問題から始まった「菅島の未来を考える会」は、島の未来を考える住民たちの手弁当から始まりました。そして「移住モデルハウスづくり」や「スジアオノリ養殖」にまで発展しています。今後は、移住者の仲間を募り、子どもが育ち続けられる島に取り組みたいと考えています。
訪れてみたいと思った方は、ぜひ気軽にご連絡ください。