ゲストハウスかもめnb.の現在地と、鳥羽市の宿泊のこれからと

1.はじめに

こんにちは。鳥羽市在住の鼻谷年雄です。今回は、ぼく自身の話です。
Tobachairsでは、これまで記事執筆を担当してきました。ライターと兼業で、鳥羽市の岩崎町で定員8名の小さな宿「ゲストハウスかもめnb.」を営んでいます。

三重県鳥羽市は、コロナ禍により大きな打撃を受けています。そうした中で、今後はどのような宿泊の形態が求められていくのか。今回は、ゲストハウスかもめnb.から考えます。

2.「都会での会社員生活に対するぼんやりとした不安」から抜け出そう

2016年に、ゲストハウスを開業するまでの話です。

三重県津市生まれの僕は、20代を東京で過ごしました。テレビゲーム関連の出版社に勤め、編集者をしてきました。その中で、「ずっとこのままでいいのかな」という都会での会社員生活に対するぼんやりとした不安から、29歳で退職。海外への憧れも手伝って、ワーキングホリデービザで1年間オーストラリアに滞在しました。帰国後は、伊勢志摩鳥羽を拠点とする出版社や地方新聞社に転職して再び編集の世界へ。

2015年にフリーランスのライターとして独立しました。

ここまでを振り返ってみると、「地方在住のライター×ゲストハウスオーナー」という現在の自分は、かつての「都会での会社員生活に対するぼんやりとした不安」から抜け出そうと模索してきた結果ともいえます。

ところで、どうしてゲストハウスを始めたのか。理由は単純です。ワーキングホリデーで滞在したオーストラリアには、色々なゲストハウスがありました。そこへ泊まり、人と出会う中で、楽しい思い出ができた場所だったから。

三重県に暮らしながら、旅のような出会いのある暮らしがしたい。空き家を探し回りました。

「鳥羽駅から徒歩5分。海も山も近くて川が流れているのに、コンビニへもすぐ。自然は好きだけど本格的な田舎暮らしには自信がないから、まさに理想的!」という軟弱な理由で、現在の場所に決めました。

リノベーションは、友人の助けを借りて自分たちの手で行い、2016年にゲストハウス兼ライター事務所「かもめnb.」が誕生しました。

3.鳥羽の玄関口、岩崎町


金比羅鳥羽分社のある樋ノ山から見た景色。手前にあるまち並みの左3分の1ほどが、岩崎町の歴史ある市街地。

三重県鳥羽市は、人口約18,000人のこぢんまりとしたまちながら、約150軒の宿泊施設が約15,000人を収容できる県下No.1の宿場です。そして宿泊施設は、鳥羽駅から車で5分ほどの海沿いのエリアに集中しています。その多くが、温泉やレストランを備えた団体客向けの大型旅館やホテルでした。実は、この港側エリアは明治時代からの埋め立て地です。

かつて、鳥羽城があった時代の城下町のメインストリートだったのが妙慶(みょうけい)川沿いの「岩崎通り」。

かもめnb.は、鳥羽駅から徒歩圏内の市街地・岩崎町、住所としては鳥羽一丁目にあります。観光施設へのアクセスも良い場所ですが、意外なことにこのエリアには宿が少ないのです。さらに、市内全体でも1泊素泊まり3,000円という価格帯の宿はありませんでした。そのため、かもめnb.は外国人観光客や学生さんなどに多く利用してもらえるようになりました。

食事が付かなくても、市内で買ってきた魚をキッチンでさばくゲストもいます。また、近くには寿司屋や居酒屋、カフェ、ラーメン店などもあります。近所の飲食店を紹介すると、ゲストがいつの間にか行きつけのお店を開拓していたりします。


鳥羽出身の濱口純希くんが営むラーメン屋「れお麺ism」は、かもめnb.から徒歩わずか30秒。

移住を考える人が滞在拠点として利用することもあります。鳥羽市に暮らしているような滞在ができるので、好都合と言われたりして、「これでいいんだよな」と思い出す毎日です。


外食派でなくても、岩崎通りの大岩商店で三重県の地酒や地ビールを手に入れれば宿で晩酌ができる。かきや魚の燻製といったおつまみも。

4.いつもと違う年越しに、いつもの顔ぶれ


夜の岩崎通り。コロナ禍で人通りがめっきりと少なくなった。

観光を主産業とする鳥羽市は、コロナ禍の影響を大きく受けました。外国人はもとより国内旅行者も大幅に減少しました。

かもめnb.も休業に踏み切り、その後は1日1組限定の営業へと切り替えました。

大きく環境が変化した2020年。その年末年始に予約をしてくれたのは、4年来の常連である霜辰史(ふひと)さんと、初めて訪れる彼のお姉さんでした。

2020年23時50分。かもめnb.を後にしたぼくらは、岩崎通りを抜けて、妙性寺(みょうしょうじ)へ。除夜の鐘を突きました。

それから、年をまたいで賀多(かた)神社で初詣。

賀多神社は岩崎町の氏神にあたります。例年に比べると人の出は少ないものの、地元の人が集っていました。かがり火を囲んでいると、「おう、鼻谷くん。取材活動はどんな感じや」と町の先輩たちに声をかけられました。ちなみに、ぼくも氏子として賀多神社の掃除や神事の手伝いをしています。

お参りを済ませて授与所でおみじくを引くと、なんと「大吉」! はしゃいでいたら、氏子総代の相川幸久さんに「それは間違いだから返しなさい(笑)」と冗談を言われました。相川さんの日課は、妙慶川沿いの散歩。時々、かもめnb.に差し入れをしてくれます。

翌朝、少し早起きをして霜辰さんと初日の出を見に行きました。かもめnb.から徒歩1分の鳥羽城跡は、海に臨む小高い山の上にあり、見晴らしは最高です。入り組んだ海岸と島々の間を縫って、フェリーや遊覧船が往来しています。海と船とまちとを見下ろしていると、ここが「鳥羽の玄関口」であることがよくわかります。

5.このまちでなら、やっていける気がする

城下町の誇りが高い岩崎通りには、正月三が日、立派なしめ縄と門松が並びます。かもめnb.も負けたくないのですが、買うとなかなか高価なので一計を案じました。オリジナルのしめ縄を作りました。


形や結び方がオリジナルなのはごあいきょう。

伊勢志摩鳥羽地方のしめ縄に見られる木札「蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんのかもん)」は、年末年始を共に過ごした霜辰さんに書いていただきました。また門松に用いる竹は、賀多神社の氏子総代の大川さんにお願いして、神社の裏山から切り出して花筒としました。

これですぐにコロナ禍が退散してくれたらよいのですが…。かもめnb.は、2021年1月現在休業中。先の見通しは立っていません。

けれど、このまちでなら、どうにかやれる気もします。岩崎通りのラーメン屋「れお麺ism」を営む若き店主・濱口純希くんが「いっしょに何かやりましょうよ!」と声をかけてくれました。「ラーメンと宿泊のセットプランをつくれないかな?」と、作戦会議をしています。

実のところ、コロナ禍もあり経営は火の車。暮らしも厳しくなりつつあり、お金の悩みは尽きません(笑)。けれど、不思議なことに都会での会社員生活時代に感じていた「ぼんやりとした不安」は薄れました。それは、優しい顔を知る人たちの中で暮らしているおかげかもしれません。毎月給料を振り込まれることはなくなった代わりに、暮らしの手触りが生まれました。

2015年に移り住んだ当初、三重県鳥羽市は、ぼくにとって「都会」と対比される「一地方」に過ぎなかったのかもしれませんでした。しかし、移り住んで6年目の現在では、見え方が変わっています。そのきっかけの1つが、Tobachairs でした。2018年から2020年にかけて、鳥羽市の旧市街地から漁村、離島までを取材。同じ鳥羽市に働き暮らす多様な風景、そして人に出会うことで、鳥羽市の解像度が高まったのです。

鳥羽市岩崎町という小さなまちでの暮らしは、自分が思っていたよりもずっと世界が豊かであるということに気づかせてくれました。

さて、鳥羽市のこれからの宿泊業は、どのような形になっていくのでしょうか。鳥羽市で一番小さな宿を営むぼくにとっては、大きすぎる問いです。しかし、このまちに暮らす人同士があらたにつながり、そして訪れた人が地域の人と繋がること。それが大きなキーワードのような気がします。

復活の日まで、とにかくぼくは、布団を干し、今一度部屋の角のホコリを掃除して、除菌・手洗い・マスクを欠かさず、元気で過ごしていきたいと思っています。

自分が思っていたよりも、世界はずっと豊かなのかもしれない。そのことに触れたいと思った方は、ぜひ鳥羽へ泊まりに来てください。お待ちしています。

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