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つくるのは暮らしを変える豆腐。海辺の豆腐店で、体験ツアーします(後編)‐糀屋/三重県鳥羽市

Toba chairs(トバ チェアズ)は、三重県鳥羽市が企画する仕事紹介プロジェクトです。紹介するのは、鳥羽市在住の2人のクリエイター。今後、6つの仕事を紹介していく予定です。第一弾として、「暮らしを変える豆腐店・こうじ屋」を紹介します。

(文 鼻谷年雄/写真 佐藤はじめ/ ロゴデザイン 勝山浩二/ 編集 Kii)

前編では、「豆腐づくりの現場」を紹介しました。後編では、豆腐店の「コミュニティ」を紹介します。ご近所の常連さんから、引っ越してきたお母さんまで。糀屋には、さまざまな人が訪ねてきます。

「豆腐は糀屋でなきゃ」と、常連さん

かつては、毎日400丁の豆腐をつくっていた糀屋。現在は、毎週月・木曜日のみ製造を行っている。80歳を過ぎたさゑ子さんは、どうして今も豆腐をつくるのだろう?それは、「豆腐は糀屋でなきゃ」という常連さんが待っているから。

つくり始めて3時間。8時になると、出来立ての豆腐を、常連さんが買い求めにくる。

まるでコーヒースタンドのように、あつあつの豆乳を一杯飲んで帰るおじさん。

主婦のたっちゃんは「糀屋の豆腐がおいしいよ。うちのダンナの晩酌ばんしゃくにもね」。豆腐の入ったビニール袋片手に、そう話してくれた。

移住者の僕は、ここであらたな鳥羽の一面を知った。豆腐を買いに訪れることで、彼らと顔なじみになれるのだ。

豆乳ソフトが生んだ、新たなファン

スーパー通いのお母さんたちに、糀屋は「豆乳ソフトクリーム店」として知られている

午前中の豆腐づくりを終えたさゑ子さん。午後は店に立ち、朝搾ったばかりの豆乳からソフトクリームをつくる。

糀屋は、2005年に改築を行った。ソフトクリームの製造販売を始めるため、「飲食店営業」「喫茶店営業」そして、テイクアウトに必要な「アイスクリーム製造許可」を取得。実はさゑ子さん、長年の夢だったという。

糀屋は、なかまちの関係案内所だった?!

豆腐づくりを終え、リラックスしたさゑ子さん。実はおしゃべりであることがわかる。

一度、よそから来た人に頼まれて豆乳ソフトの作り方を教えたんやけど、向こうで同じように作っても全然、味が違うって

結局、豆乳の違いやった。私もよう知らんだけど、うちの豆乳じゃないとあかんみたい

豆乳ソフト、本当に楽しいわ

午後になると、糀屋はさゑ子さんを囲む社交場になる。

糀屋に人が集う理由は、どうやら立地もある。

年間400万人が訪れる観光都市・鳥羽。200メートルほど先の海からは、踏切を抜けて風が吹き抜ける。

また、背にあたる山からは、風が吹きおろしていく。

海と山のちょうど間に位置するのだ。

豆腐が生んだチャレンジ

さゑ子さんは、80歳を過ぎてなお元気だ。とはいえ、今回の後継者募集には、仕掛け人がいるのだ。

豆腐づくりから、豆乳ソフト店の開業まで。陰ながら支えているのは、娘の和美かずみさんだ。

かつて大企業で300人の部下を統率した経歴を持つ人。地元に帰ったのち、「なかまちを次の世代につないでいきたい」という思いを共にする仲間と「合同会社NAKAMACHI」を立ち上げた。

そして驚くことにコワーキングスペース、シェアオフィス、キッチンスペースからなる起業家応援スペース「KUBOKURI(クボクリ)」をDIYでつくりあげた。

和美さんは、KUBOKURIで自らカフェをはじめた。豆乳ソフトをいかしたスイーツを提供している。

今後は、空き家をリノベーションした起業にも取り組んでいきたいところ。かつて、鳥羽の台所をになった「なかまち」。ここで彼女たちは、ふたたび新しい街をつくろうとしている。

それ以上の“何か”が生まれる場所、糀屋

最後に、僕の朝の変化を振り返り、まとめたい

僕が、鳥羽市へ来て2年以上もコンビニへ通い続けた理由。それは、かつて東京に住んでいたころの習慣が抜けないからだ。

何人かの店員さんとは顔なじみになれたけれども、それ以上の“何か”は生まれなかった。

東京でも、地元でも出会えなかった「変化」を生んだのは、鳥羽市にある豆腐店だった。

現在糀屋は、月曜日と木曜日のみの営業。さゑ子さんは儲けのためにこの豆腐店を営んでいるわけではない。この商売を継ぐというのは、採算を考えると若者にとって正直ハードルが高いかもしれない。でも、 この豆腐店は、このまちになくてはならない。魅力を知ってハードルを面白がってくれる人に出会ってほしい。

そうだ。

よかったら、一緒に訪ねてみませんか?豆乳ソフトクリームを食べながら、話しましょう。