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南伊勢をあるく@迫間浦編(三重県)

 

伊勢湾と太平洋・熊野灘に面した三重県の沿岸部。その20%以上を占める南伊勢町の海岸線は全長245.6キロメートルもある。入り組んだ海岸線は4つの湾を形成していて、今回紹介する五ヶ所湾もその1つ。

五ヶ所湾の沿岸に点在する19の農山漁村集落の中でも、漁業が盛んに行われているのが迫間浦(はさまうら)だ。

迫間浦
国道260号線にある真鯛のモニュメントが目印。旧南海村の相賀浦(おうかうら)・礫浦(さざらうら)・迫間浦はいずれも歴史のある漁師町。1970年から始まった真鯛養殖をはじめ、釣り堀などの観光漁業も盛んに行われる。

タイの里・迫間浦で真鯛を育てる人たち

阿曽浦編で紹介した友栄水産。贄湾で真鯛を養殖する生産現場で働いてきたぼくは、異なる湾で行われる真鯛の養殖現場に興味があった。そこで今回は、株式会社南勢(なんせい)水産を訪ねることに。

「朝8時に迫間浦の市場に来てください」

と連絡をもらい、迫間浦へと向かう。国道260号線沿いに立つ巨大な真鯛のモニュメントが迫間浦の目印だ。

ぼくよりもはるかに大きい。たしかに真鯛は成長すると120cmにも達する大型魚ではあるけれど、ここまで大きいと少し怖い。

ここから「タイの里・迫間浦」へと入っていく。

海に臨む迫間浦の市場では、2kgほどの立派な真鯛を捌く人の姿があった。

小川滉太(こうた)さん。今年で24歳になる彼は、2018年の6月に南伊勢町へ引っ越してきた。南伊勢町の若者チャレンジ応援事業を活用して、真鯛の養殖を中心に行う南勢水産で働いている。

手際良くこなす滉太さんだけれど、魚を捌けるようになったのは働き始めてから。魚の鼻の穴からワイヤーを通して行う神経抜きの技術には目を見張る。

「仕事で100枚締めたりするので、嫌でも身体が覚えますよ」と、滉太さん。自分の身体に技術がついていく感覚が好きらしい。

たしかに現場の仕事は、できなかったことができるようになる感覚がわかりやすい。若者にとって、成長を実感しやすい仕事場なのだと思う。

水揚げしてすぐに捌いた魚は、愛知県の南知多町にあるまるは食堂へ運ばれていく。

小休止を挟んだ後、活魚の出荷が始まった。生簀(いけす)からタモですくわれた魚は、緑色の袋へ。次にクレーンで持ち上げられて、陸上の選別台へと運ばれる。

巨大クレーンを用いるなど、作業工程の違いはある。けれども、贄湾と同じ真鯛養殖の光景が、五ヶ所湾でも営まれていることに感動する。

選別台の上の魚は1匹ずつカゴに詰められて、計量してからトラックの水槽に積まれていく。今日は釣り堀へ出荷されるのだという。

「今日は何匹の出荷するんですか?」そう尋ねると、「600グラムの真鯛を40枚。あとはトラフグ」と返事が返ってきた。

話をしてくれたのは、舌古(ぜっこ)勇樹さん。南勢水産・2代目社長の舌古一樹さんの弟で、25歳から本格的に南勢水産で働き始めた。今年で15年目のベテランだけど、聞けば前職はミュージシャンだったとか。

人の人生って、聞いてみるとおもしろい。

「缶コーヒーでも飲んできな」

漁師はよく缶コーヒーを飲む。勇樹さんの一言に甘えて向かった先には、自動販売機の代わりに、専用の缶ウォーマーが備え付けられた軽トラがあった。

「好きなもの飲んでええよ」とブラックを手に取った勇樹さん。漁師ならではの工夫に感心しながら、ぼくは甘めのコーヒーをいただいた。

名古屋や東京での生活を経て、地元である迫間浦に戻ってきたという勇樹さん。「なんだかんだ自分にとって一番居心地のいい場所だ」と、笑いながら教えてくれた。

南伊勢町に住む24歳のリアルな生活

この日は、船に同乗して真鯛の餌やりも見学させてもらうことができた。

南勢水産が育てる「お炭付き鯛」は、竹炭の粉末を配合した餌を与えることで、余分な脂肪を抑えている。竹炭には体内の有害物質を吸収・排出し、真鯛本来の旨味を引き立たせる効果がある。初代社長で勇樹さんの父・幸夫さんが始めて、現在は南伊勢ブランドにも認定されている。

生簀へと向かう船の上で、滉太さんに改めて話を聞いた。南伊勢町で同い年に会うこと自体珍しいのに、誕生日もぼくと1日違いでグッと親近感が湧く。

「学生の時はアメフトをやっていたから、もともと身体を動かすのが好きで。漁業の世界は憧れでもあり、未知でもあったからおもしろいですよ」

生活サイクルはどんなだろう。

「基本月曜から金曜。土日は頼まれたら出勤します。朝は6時起きで7時出勤。休日も身体が勝手に起きちゃって、何もすることないから身体を持て余します(笑)」

こんな田舎に引っ越してきて、休みの日は何をしてるのか?自分自身もよくされる質問を、あえてぶつけてみる。

「基本は家でゴロゴロしてますよ。たまに町内にある玉山食堂へ飲みに行くこともあります」

想定内の答えにホッとする。若者の休日の過ごし方は、都会でも田舎でもあまり変わらないのかもしれない。

「今度プライベートで会いましょう」と約束して、南勢水産を後にした。

五ヶ所湾の栄養で育まれる牡蠣 光永智子さん

もう1人、迫間浦で会いたい人がいた。シェルファームみつながの光永智子(ともこ)さんだ。夫の吉久さんと2人で牡蠣とアオサノリの養殖を営んでいる。

電話に出る時に「もしもし、デヴィ・スカルノでございます」と冗談を言う愉快な方と聞いていたけれど、それ以上に冗談を交えた牡蠣の解説が楽しかった。

「人間と同じでエリートっていうのは衝撃に弱いのよ」

五ヶ所湾は夏の高水温で死滅する牡蠣が多い。その上、2019年は黒潮の大蛇行で冬に海水温が上がった。そうした海の変化に耐え抜いた逞しい牡蠣が、出荷まで辿り着く。

「努力したから報われるとか、そんな生優しいもんじゃないよ」

10月頃に真牡蠣の稚貝を仕入れ、出荷までに約1年間海の中で成長させる。岩牡蠣に関してはさらに長い期間を要する。その間、智子さんと吉久さんは牡蠣をしっかり守り、育て抜かなければならないのだ。

「ものを言わないから殴るように扱っていいかっていうと、そうじゃないんだよね。やっぱり牡蠣は黙ってるからこそ、ちゃんとストレスを感じている」

まるで牡蠣が人間であるかのように話す智子さんからは、育てている牡蠣への愛情がしっかりと感じとれる。

「せっかくだから真牡蠣を食べてきなよ。それで光永さんの牡蠣はほっぺたが落っこちるくらい美味しかったって書いといてね。ハッハッハ」

お言葉に甘えて、シェルファームみつながのテラスで蒸し牡蠣をごちそうになる。

智子さんは、10年程アメリカに滞在していた時期がある。サンフランシスコで吉久さんと出会い、結婚。夫の郷里に帰ってきた。

「セルガキってみんな言うけど、あれはshelled oysterがなまった言葉なの」

海の上で働く智子さんは逞しくも、上品さを醸し出している。この雰囲気は、太平洋のはるか向こうから持ち帰ってきたものかもしれない。

取ってきた真牡蠣を蒸して、ミツカンのマイルドポン酢と大根おろしでいただく。智子さんおすすめの素朴な食べ方だ。

「やっぱり庶民はそんなに高いもん食べとったらダメ」

五ヶ所湾が育む海の栄養は濃厚で、本当にほっぺたが落ちるくらい美味しかった。

ぜひ、光永さんの牡蠣を味わってほしい。直送を行っているので、下記のURLからどうぞ。

http://shellfarm.main.jp/chokuso/

迫間浦で生まれ育った人 羽根俊介さん

今回、取材のコーディネートをお願いしたのが、迫間浦出身の羽根俊介(はね しゅんすけ)さん。今は役場のまちづくり推進課・若者定住係で移住定住を担当をしている。最後に、集落内を案内してもらった。

南勢水産を取材した市場から続く坂道を、家々の間を通りながら進む。途中でタチウオの干物を作るおばあちゃんに挨拶する。

迫間浦出身の羽根さんは、大阪・東京での生活を経て、25歳の時にこの町へ戻ってきた。子どもの頃の思い出を聞くと、「このへんで鬼ごっことかはようしとったな」と教えてくれた。漁師町に路地でやる鬼ごっこは、かなりおもしろそうだ。

迫間浦神社を経由して坂道を登り切ると、海雲寺というお寺がある。ここまで来ると見晴らしもよく、五ヶ所湾を上から眺められる。

羽根さんは移住定住を担当して、今年で7年目を迎える。「この仕事は成果が出るまでに、長い時間がかかるんです」と言う。

移住希望者が相談を経て、すぐに移住するわけではない。また移住がゴールではないからこそ、新しい土地で暮らす中、定住につながるサポートも必要だ。

住む場所探しを通じて、人の人生に関わる。責任のある仕事だからこそ、喜びもひとしおかもしれない。

連載「南伊勢をあるく」では、南伊勢町のありのままの風景を伝えています。町の暮らしに興味を持ってくれた方は、ぼくたちむすび目Co–workingまでご連絡ください。一緒に南伊勢を歩きながら、話しましょう。

お問い合わせはこちらから

https://kii3.com/musubime-co_contact/

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