「川上村で初めて感じた、”高密度の日本”」Oide/通訳・翻訳家 マタレーゼ・エリック ジェームスさん
<高校生による高校生のためのコラムVo.4>
はじめまして。岡本輝起(おかもとてるき)と申します。18歳です。高校生活をとおして、人生に悩みに悩みまくり、今も悩んでいます。
「特にやりたいこともない僕が、どうして大学に行こうとしてるのか」
「いい大学に行っていい会社に入って、その人生ってホントに楽しいのか」
学校という世界からは見えない、色んな生き方が身近にあるのではないか。魅力的な大人たちの仕事や暮らしに出会いたくて、Kiiのインターン(ライター見習い)になりました。
高校生による高校生のためのコラム「高校生よ、はたらいてもいいんだよ。」Vo.4です。
「川上村で初めて感じた、”高密度の日本”」Oide/通訳・翻訳家 マタレーゼ・エリック ジェームスさん
(ライター:岡本輝起 編集:大越元/Kii編集長)
奈良県・川上村。136キロほどを流れ、やがて和歌山湾へと注ぐ吉野川。その上流での暮らしを、美しい文章で綴(つづ)る人がいた。
翻訳・通訳サービス事業である「Oide(オイデ)」を営みながら、WEBにて随筆「UPSTREAM DAYS 上流の日々」を連載。アメリカ・ロサンゼルス出身のマタレーゼ・エリック ジェームス(31, Eric James Matarrese)さんに話をうかがいました。
<アメリカの高校・大学生活>
どんな高校生だったんですか?
けっこう静かな方でした。今でもそうだけど(笑)。
あんまり目立つ方じゃなかったんですね。
でも静かに目立ってたかも。
「静かに目立ってた」?
アイスホッケーとジャズバンドをやってましたね。
昼休みに、バンドルームで仲間たちと集まって。ジャズだからあまり型にはまらず、自由に演奏してました。
音楽を一緒にやる人に毎日会える。「うるさくなってもいい場所」がある。それほどいいことはないでしょう。
それからロングヘアーにしてたり、女の子の友達にネイルを塗ってもらったり。人と変わったことがしたかったんです。
日本語を始めた理由も、一緒なんです。
日本語は高校から始めたんですか?
そうです。ハマったきっかけは、高校4年生(※)のとき、村上春樹の本を読んだこと。(※アメリカは小学校6年、中学校2年、高校4年制)
高校では英語で、合計4冊読みました。
楽しくなって、大学でも日本語を学ぼうと決めました。
2010年に「1Q84」がでて、「これは日本語で読むしかない!」と思いました。それ以来、だんだん日本語で読むようになったんです。
大学はどんなところでしたか。
カルフォルニア州の北部にある、カルフォルニア大学サンタクルーズ校に通っていました。キャンパスは森の中にあって、森を歩いて教室へ、向かったんです。
大学では日本語を専攻していました。
日本語の先生が茶道をやってて。茶会に誘われたときがすごく印象的でした。先生の茶室でみんなでお茶を飲みながら、山の上の夕暮れを見て。
「本当にこの夕暮れは素敵だなあ」と。
高校と大学、どっちが楽しかったですか?
高校は高校でいろんなことやって楽しかった。
だけど、大学はもっと楽しかった。なぜかというと、授業が細かく選べることもあって、価値観の合う友達ができるんです。
2年間くらいヴィーガン(※)だったときがあって。高校では毎日からかわれていたんですよ。
(※肉・魚・卵・牛乳・はちみつなど、動物由来の食品を摂取しない人のこと。岡本もヴィーガンです。)
アメリカは「自由の国」のイメージが強くて、誰とでも仲良くするのかなと思っていましたが、やっぱり価値観が違う人をからかう人もいるんですね。
そう。アメリカでも、個性を持ちすぎるといじめられたりもします。けど、大学ではヴィーガンの友達も見つかりました。
大学卒業後は、日本へ?
そうです。在学中に同志社大学へ留学する機会があって。そのときに、「もう少し日本で過ごしてみたいな」と思ったんです。当時は、7年もいるとは思いもしませんでしたが。
<川上村に来るまで>
川上村に来るまでの経緯を、詳しく教えてください。
最初は岐阜県の本巣(もとす)市の小学校と中学校で英語を教えていました。
そのうち、「もっと日本語をつかった仕事がしたい」と思いました。
もういちど京都に行って、同志社大学で日本語の細かいニュアンスを学びました。
日本語の勉強は楽しかったけど、実は京都の生活にがっかりしていたんです。
京都の生活にがっかりしていた?
マンションに住んでたんです。隣の人の顔も知らなくて。
お祭りがあっても誰も知らせてくれなかった。
溶け込めていなかった実感があったんですね。
そう。そんなときに、岐阜で知り合った友達がFacebookで「川上村で暮らすように泊まる宿HANARE」とか書いていて。
夏の澄み切った川や冬の凍った花の写真を載せてたんです。
「川上村って、いったい何なの!?」
興味が湧いて、夏に遊びに行きました。そのあとその友達の結婚式にも参加して、ここなら溶け込めそうだと思ったんです。
ここに住みたいと思っていたら、ちょうど地域おこし協力隊の募集をしていて。面接に行ったら、合格しました。今は、協力隊として活動しつつ、翻訳・通訳サービス事業である「Oide(オイデ)」にも取り組んでいます。
岡本くん、せっかくなので、上多古(こうだこ)集落を歩いてみませんか。僕が毎月お掃除している、お気に入りの神社を案内します。
はい!行きたいです!
<高密度の日本>
川上村に来てみると、村民さんにいっぱい会って、盆踊りの準備もお手伝いして。初めて日本に溶け込めた感じがしました。
ここで「高密度な日本」に出会えた気がしたんです。
「高密度な日本」?
日本について、学校で習わなかったことをたくさん学びました。
例えば、僕が村民さんと一緒にこの神社の掃除をしていたときです。
境内の中に落ちた枝や葉っぱを拾うように頼まれました。
理由を聞くと、「身内に不幸があり、『穢(けが)れ』となっている方は一年間、境内に入ることができません。私たちが入ったら、『向こう』にひっぱられちゃうかもしれないから」ということでした。
このような信仰はアメリカにはあまりなくて。日本独特のスピリチュアリティというか。
山の神や水の神への信仰も理解できました。
京都の都会では知ることができなかった「高密度な日本」が、川上村にはありました。
地域の人々と共に暮らして初めて、深い日本を知ることができたんですね。
はい。もっと知りたいですね。
ここに来て、本当によかったと思います。
エリックさんの、日本での高密度な体験を聞いて、
あらためて「僕は日本について何を知っているのだろう」と、考え直すきっかけになりました。お話を聞かせていただき、ありがとうございました!
<「高校生よ、はたらいてもいいんだよ。」を一緒に書いてみませんか>
【マタレーゼ・エリック ジェームスさんプロフィール】
1986年 米国ロサンゼルス出身
2009年 カリフォルニア大学サンタクルーズ校日本語学科卒業
2011年 岐阜県の本巣市でALTとして勤務
2013年 同志社大学日文センター別科生
2014年 京都市の半導体会社勤務
2016年 地域おこし協力隊の制度を活用し、奈良県川上村に移住
2016年 「Oide」開業