
春増さんの“さし”/紀伊の仕事
紀伊の仕事
このコラムでは道具に焦点をあて、紀伊半島の仕事を紹介していきます。
<春増さんの“さし”>
-杉樽に日本酒を注ぎ、木の香りを楽しむ樽酒。杉樽の材料である樽丸(たるまる)をつくるのが、春増薫(はるましかおる)さん。樽丸づくりの工程は、「原木を仕入れる→原木を割り、板にする→板を削る」。原木を割るときに、春増さんは手製のさし(ものさし)を使う。
春)「“さし”できっちり測ったほうが、能率的なんや。目分量で割ってもええんやけど、厚く割ったら、あとでたくさん削らなあかん。薄すぎたら、製品になれないし。きれいに割っといたら、割る作業が楽なんやねん」
<樽丸づくりのはじまり>
-春増さんは49歳のとき、樽丸づくりをはじめた。
春)山の木を切る会社を経営しててな。
山仕事は、雨ふったら休み。雪やったらずっと休み。ほんで晴れたら一週間、10日ぶっ続けて仕事行く。今度の日曜日、子どもと約束なんかできんわな。晴れたら仕事行かなあかんし。で、一日の日当は高いんやけど、働ける日数がせいぜい年間200日。十分な年収をとることは難しい。そんなん「あかんで」と思って。
屋根の下の仕事と外の仕事を兼ね合わせて、ちゃんと日曜日も休めて、計画立てていけるような世界をずっとつくりたかって。はじめたのが樽丸づくり。
<樽丸づくりのこと>
春)プラスチックもブリキもあれへん江戸時代、灘の日本酒をどうやって江戸まで運ぶか。
水を入れたら木が膨らむ性質を利用してな。からからに乾燥させた樽丸を、竹の輪っかでしばって。そこにお酒入れると、すき間がびちっとひっつくわけ。接着剤なしで合わすんや。酒樽ってのは、発明やな。
春)もう一つの発明は、“超密植(みっしょく)”という節のない木の育て方。吉野では、1,500年代に植林がはじまったと言われています。よそでは1ヘクタールに3,000本の苗木を植えるところ、吉野は10,000本植えんねん。「木を密に植えることで、枝が枯れる」わけ。そういうことで、吉野は節のない木の産地として、どんどん出てきたわけ。
-どうして、吉野で発明が生まれたんでしょうか。
春)川上村には、田んぼがないからね。外貨を得て、米と換金しなかったら喰ってけへん。その分、人より林業に一生懸命なわけ。
-やがて酒の輸送手段は、瓶に取って代わられる。容器としての役割を終えた樽丸は、香りづけの役割を果たすように。菊正宗をはじめ、大手酒造メーカーが末端のお客さん。現在、川上村で樽丸をつくるのは春増さん一人。
春)樽丸の需要はあるんや。職人さんが亡くなり、今一人でしてるんやけど。自分がやめたら困る人がいてるからね。
-現在は、横須賀から定期的に訪れ、見習い修行中の方がいるとのこと。
*樽丸づくりの様子を、後日動画掲載する予定です。どうぞお楽しみに。
<関わってみる>春増さんは次のことをうけつけています。
(2017/01/12 訪問 聞き手:石田奈津子 写真と文:大越元)