広告代理店から海女へ。「海女さんナイト」
「海女さんナイト」
「海女になりたかったんです」。 そう話す上田茉莉子さんをゲストに招いたトークイベント「海女さんナイト」。2019年7月5日にリトルトーキョー(東京・清澄白川)で開催しました。上田茉利子(うえだまりこ)千葉県船橋市出身。早稲田大学卒業後、広告代理店へ新卒で就職。2018年7月に地域おこし協力隊の制度を活用して、三重県鳥羽市へ。
<海女になるまで>
海女歴は?
上田:1ヶ月です(笑)。ほんと新米ですよね、1年間地域おこし協力隊で勤めて、漁業権を取ることができました。 ライセンスを取得すると、海に行ける? 上田:そうです。地元の方に認めていただくことで、資格を取れる。 最近ハマっていることは? 上田:ツバメの観察です。地味でしょう(笑)。家の玄関先に巣を作っているんです。「寝る時は、こうやってフンを巣の外に出すんだ」とか。楽しんでいます。銀座に勤めていたときは、そんな姿見れなかったんです。 ツバメと海女さんの起床時間が同じとか? 上田:そうなんです。ツバメがピーチクパーチク鳴きはじめると、海女さんたちの賑やかな声が聞こえてくる(笑)。井戸端会議の声で、わたしも、目が覚めます(笑)。 何時ぐらい? 上田:日の出と同じです。で、日が沈むと、ツバメも海女さんも姿が見えなくなりますね(笑)。 経歴を聞かせてください。 上田:まず、生まれは千葉です。 海は近い? 上田:「ふなばし三番瀬海浜公園」まで、車で10分ぐらい。家族で海ピクニックしてましたね。少女時代は木登りするような子でしたね。高校は写真美術部に入って。 その後は? 上田:父は会社勤めで、広告関係の仕事をしていました。わたしも広告代理店に入りたくて。のちに、自分は「違うな」と気付くんですけど、1つ目の夢は叶いました。新聞媒体の営業、契約書をつくる法務部で勤めてきました。 転職を考えることはあったんですか? 上田:ありましたよ。26歳のとき「ネイリストになろうかな?」とか。自分で決められるのがいいなと。でもそのときは、社会的安定が勝りましたね。親に大学まで出してもらっているし、「キャリアがもったいない」と思いました。 上田:今日も会場に広告代理店の営業職の方がいらっしゃいますよね。そう、大変な仕事なんですよ。精神的営業という言葉もあるぐらい(笑)。飛び込みで、企業向けに広告出稿を提案したりしましたね。給与面などの条件はよいけれど、自分の時間がなかなか作れなくて。 ストレス発散で、海へ? 上田:そうです、ものすごく。休日に、日帰りで三浦半島へ行っていたんです。今、ダッシュ村の舞台となっている城ケ島のあたり。友達と京急電車に揺られて、着替えて、海に潜って。「あー、おいしそうな魚がたくさんいる!タコだ!みたいな(笑)。発見するのが楽しくて。テンション上がって、マグロ丼食べて、ビール片手に、千葉へ帰ってくる。ちょっとした小旅行でした。 好きなことを仕事にできたらいいな。継続し出したら、現実がちょっとずつ動いていって。 上田:磯遊びをしながら、「これを仕事にできないかな?」と思うようになって。仕事を探していたら、鳥羽市の地域おこし協力隊募集を見つけたんです。 どれぐらい悩みました? 上田:正直に言いますね。わたし、採用が決まったあとも迷っていたんです。「これでいいのかな?やめるの?やめない?」。止まる気は無かったんですけど、迷いました。 上田:社会的信用を捨てることが怖かったんですよね。12年間会社に勤めていたし。ローン組めるのかな、もし夢破れて帰ってきたら、マンション借りれるのかな。色々考えたんですけど、考えてもしょうがないや、行くか。 1人で行くのは不安では? 上田:人生一回だし、食べていけなかったらバイトしようと思って。自分で決断したことって、受験、就職ぐらいしかなくて。 上田:「35歳の壁」もあったんですよ。ちょうど実家もひと段落したときだったんです。父のこと、妹のこと。自分の人生を生きていっていいんじゃない?決断は、34歳の今しかないと。 お給料もあって、安定した生活から海へ。 上田:いやあ、せっかく12年勤めてきましたし、退職金いくらかなとか計算して。今思うとですけど、26歳で憧れたネイリストも、海女さんも、自分でできる、決められるのがいいかなと。今回は違うものをつかもうと。 三重に行ったことは? 上田:面接の1ヶ月前に下見した限り(笑)。でも曇り空で、海もドヨーンとしてて(笑)。でも、もう決めたから行こうと思いましたね。 揺るがなかった? 上田:意地ですよね。