「100年続く伝統食をリブランディング-デザイナー、大阪を飛び出す-」浅田克哉さん/尾鷲市梶賀町
職場:梶賀町 担当:「梶賀のあぶり」のトータルデザイン/網元ノ家改修・管理運営
任期:2016/2〜
浅田克哉さん(27)は、大阪府松原市の生まれ。専門学校でプロダクトデザインを学んだのち、大阪市内のデザイン会社へ。そこで6年間デザイナーとして勤務。彼は2016年2月に、尾鷲市梶賀町へ。100年以上続く郷土食“梶賀のあぶり”のリブランディングに取り組んでいる。
浅田克哉さんに話を聞きました。
<“梶賀のあぶり”のリブランディング>
梶賀のあぶりは、100年間の歴史に裏打ちされた、ほんとに良い商品。
梶賀のあぶりを、どうリブランディングしていくか。
もう一人の協力隊である中川と、共通して最初に思ったのが「多ッ」って。小サバ20尾前後を1串に刺したモノであったり、カツオ丸々1匹を開いてあぶった状態で売っていたんですよ。買うまでのハードルが高い。はじめて目にした人にとっては、うまいかどうかわからへんのに。
そこで魚を食べ慣れていない人でも、気軽に手にとってもらおうと、骨をのぞいて、食べきりサイズにした小分け袋を提案したんです。
はじめ、地元の人からは不評でした。「こんな“ちょっと”やと、見栄え悪くて売れへんよ」そんな中、梶賀まちおこしの会の会長さんが「やってみたらいいんとちゃう?」と後押ししてくれました。
最初は商品タグを自分たちで印刷、紐は漁師さんに漁網紐をもらって試作品を作って売ってみたんです。そうしたら、食べやすくてお土産にちょうどいいと大好評で、今では主力商品になっています。
<仕事の幅が広がった>
デザインの幅も広がりました。
古民家を借り受けて、2016年から古民家カフェ「梶賀 網元ノ家」をはじめました。営業日は、金・土曜日のみ。あぶりの風景がTVや新聞で紹介されたこともあって大阪、奈良、名古屋からふらりと訪れてお茶をする人、ダイビング後に昼食を食べる人もいます。
2017年には、新メニューが誕生しました。
「あぶり釜飯」です。小分け袋には入らない魚の頭や骨や皮もいかせたらと思い、ダシをとりました。ご飯を炊くとすごくうまくて。大阪にいたときは、全然料理はしなかったんですけどね。
自分が取り組んだ仕事の反応が、見えるのは大きいことだと思います。
<どうして協力隊だったのか>
前職では、化粧品のパッケージデザインを手がけていたんです。それやと製品という小さな単位でしか自分のやりたいことができひん。そんな時TVで地域おこし協力隊という仕事を知ったんです。町という大っきな単位で自分のやりたいことをする。それがめっちゃ面白そうで。
はじめて梶賀町を訪れたのは2015年11月。尾鷲市で、地域おこし協力隊を考えている人向けの募集ツアーが行われていたんです。そこで、住民の方の話を聞きました。
梶賀のあぶりは、食文化として梶賀の暮らしに根づいているんですよ。それが2009年に、100食限定で販売されることに。たちまちの完売を機に「あぶりを、梶賀町のあらたな産業にしたい」と、住民が梶賀まちおこしの会を結成。着実に売上げが伸びていきました。まちおこしの活動としては上々だけれども、雇用を生む産業を目指すには、自分たちだけでは限界がある。そこで、届けるプロとなる地域おこし協力隊を募集したいと。
商品のプロデュース、それは自分のやってきた仕事と重なったし、自分に求められていることも明確でしたので「ここで一緒に働きたい」と思いました。求められていることが明確だった。住民から受け入れてくれる感じが見えたのも大きかったです。「ここなら一緒にできそう」。
<びっくりするぐらいの田舎>
生まれ育った大阪から比べると、梶賀町はびっくりするぐらいの田舎なんですよ。
商店がない。都市ガス通ってない。トイレの簡易水洗ってなんなん?
都会の感覚でいう「なんにもない」ですね。それがあきないんですよ。Mac閉じて、海を眺めて。ふと「自分何してんのやろ?」と思ったり(笑)。でも、あきないんですよ。ここに来る前は、大阪の堀江に住んでいて。徒歩圏内になんでもありました。けど、ないんやったらそれでいいやんて。
この1年は、自分にとって変化しかないですね。住めば都。住まないとわからないんですよ。変わったとこやけど、ほんまおもしろい。
<尾鷲市では、地域おこし協力隊を募集しています>
12/2,3には、彼らを訪ねるツアーが行われました。こちらのレポートも公開します。参加できなかった方も、ぜひ。