「就職先は450人の村。新卒で北山村へ移住するまでの、筏下りのような学生生活」和歌山県北山村/新卒×移住/後編
<後編>
–大学3年からが、流れるようですね。
そうなんです。
–仕事のこと、聞かせてください。どんな基準で、就職を決めたんですか。
2016年まで村長を務めた奥田貢(おくだ みつぐ)さんは、「適疎(てきそ)」という言葉を口にしていたんです。過疎ではなくて、地域のサイズに見合った適疎と。その言葉に、前向きな村づくりそのものの姿勢を感じました。
実は、20代、30代の人も住んでいるんですよ。2016年は8人ほどの赤ちゃんが生まれて!
ご両親が赤ちゃんと一緒に役場を訪れると、職員も手を止めて、我が子のようにかわいがって。北山村は、18歳までの医療費無料、中学校までの給食費無料と子育て力を入れています。でも、制度だけではないんですね。
450人で生活するために、みんなでわいわいとやっている北山村。そこで、村の人のためにはたらく。身近な人を大切にする仕事だと思ったんです。
–身近な人を大切にする仕事。
原点は、学生時代の塾講師アルバイトかもしれないです。一度辞めて、すぐに戻って、結局4年間続けました。ないたり笑ったりしながら、一人の子が成長していくのがうれしかったんです。
–今は、どんな仕事をしていますか。
総務課で会計を担当しています。お金の計算、ニガテだったはずなんですけどね(笑)。不思議です。
会計の仕事で、ふるさと納税を取り扱うことがあります。寄付をいただくことが、じゅうぶんありがたい応援なんですが、振込用紙の隅に「がんばってね」「じゃばらジュース楽しみにしています」と書かれていることがあります。平成の大合併の際、独立の道を選んだからこそ、生まれたつながりに支えられていると思います。
–荒井さんから見た北山村って、どんなところ?
手ざわりのある村。埼玉に住んでいた頃、じゃばらの商品を注文したことがあります。段ボールを開けながら「これ、あの人が詰めたんかな」とか一人でつぶやいて。
今でこそ全国に広まりつつある北山村のじゃばらも、加工と出荷は少人数で切り盛りしています。工場には2.3人、配送センターは10人足らず。一つひとつ、注文を受けてから個包装を行います。
筏下りも手づくり感満載ですよ。筏づくりは、筏師たちの冬の仕事です。
北山川観光筏下りの創業に奔走した方が、卒論の完成直後に亡くなられたんです。とても優しい人でした。「がんばってなー」と言っていただいて。インタビューを読みかえすと、たくさんのメッセージがあって。何度も背中を押してもらったし、今も押してもらっている。そんな感じがあります。
偶然に出会った北山村だけれど、必然に変えていけると思います。
–筏下りみたいな2年間だね。
そうですね!自分でどんどんパドルを漕いでいったら、ここに着いちゃったという感じですね(笑)。
–今、どんなことを考えてますか。
家の前の風景が好きなんです。田んぼの先に、川が広がる風景を見たとき「めっちゃすてき」と思って。そのときの新鮮な気持ちを忘れずにいたい。
–この先、荒井さんはどこへ流れるのでしょう。
行き先はわからないけれど、自分のパドルだけは見失わずに。飽きるまで北山村に暮らそう!って、思うこの頃です。
*荒井恵理さんを紹介してくださったのは、Guesthouse RICOの宮原崇さん。ありがとう〜
(写真と文:大越元)