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新卒で村へ。神谷さんがすすめる十津川の旅/神谷明成/十津川村トライアルステイ

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<十津川村の人>

出会う人によって、毎日は大きく変わるもの。週3日働き、週4日住まい遊ぶ十津川村トライアルステイ。人を訪ねてみませんか。

第2回は、神谷明成(かみや あきなり)さん。

新卒での選択肢として、東京以外の道へ進んだ人です。

神奈川県の川崎市出身。2010年に十津川村へ。農家民泊の企画や子どもの農山漁村体験受入れに取り組むかんのがわHBP(HBP=ハッピーブリッジプロジェクト)の事務局を経て、現在は十津川村役場に勤めています。

<はじまりは、ゼミ旅行>

–在学中に、十津川村へ?

そうです。はじめて訪れたのは大学3年のゼミ旅行でした。観光名所を回り、ヒアリング調査をさせてもらって。4年になって、先生から「卒業研究を十津川村でやってみない?」と。面白そうだなと思って。

十津川村では、イノシシ、鹿、サルに畑を荒らされる「鳥獣被害」が起きていました。そこで村役場から、対策を練るために調査をしてほしいとのことでした。調査期間は夏休みの2ヶ月。役場の方にサポートをいただきつつ、54集落・200軒近くを回らせてもらいました。

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<十津川面白いなぁ>

十津川面白いなぁ。人を訪ね回るうちに、そう思いはじめたんです。もともと自然豊かで、昔ながらの習慣が残っているところで暮らしたい気持ちもありました。一方で、高齢の方が多いのも事実。今はよいけれど、将来まで仕事や生活を一緒にできるんだろうか、とも思ったんです。

そんな中、神納川(かんのがわ)地区の岡田亥早夫(おかだ いさお)さんに出会います。5集落からなる人口80人の地区の将来を考えるため、大阪からUターンし、かんのがわHBPの事務局長をされていました。そして、交流人口を増やそうと、都会の子どもたちを受入れていました。

岡田さんの手伝いをしつつ、家に泊めさせてもらいながら、3週間を神納川地区で過ごしました。

川崎へ帰る日、岡田さんから「受入れの仕事を一緒にしないか?」とお誘いを受けたんです。

いいな、やってみたいなと思った。不安もあったけれど、「今は成功も失敗も考えすぎず、自分の好きなことやってみよう」と思って。

<川の音が体に残る>

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帰りの電車の中でも「いい誘いをもらったなぁ」と思いながら、実家の最寄り駅に着いたのは夜。ふと気づくんですよ。川の音が全然しない。空に星が見えない。

やっぱり自分には、そういう中で生活したい気持ちがあるんだなぁ、と思いました。

–きっちりと計画立てて移ったわけではないんですね。

そうなんです。2010年4月に神納川へ。移住ですね。軽自動車に、布団も服も本も積んで。足りないものは、現地で調達しようと思って。

それから7年が経ちます。はじめはかんのがわHBPの事務局を2年間。翌年は、岡田さんが神納川地区に仕事をつくるために始めた、原木しいたけづくりの仕事を。2013年に十津川村役場へ就職しました。

<僕にはピッタリだった>

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メディア上では、「ディーブ」「秘境」「遠い」と語られることが多い十津川村です。神谷さんの実感では、どういうところ?

周りからは「生活が不便じゃない?」と言われることもあります。たしかに、最寄りのスーパーまで行くのには、時間がかかります。それでも住みやすい。物質面の不便さ以上に、自然や文化面で与えられるものが大きいんですね。僕にとっては「ここ以外に行くところがない」と思うぐらい、ピッタリでした。

たとえば?

出張から帰ってきますよね。五條から車に乗って、天辻峠(てんつじとうげ)を越えて。7年前は、同じような山並みが続く景色だと思ったんです。けれども今は違います。「帰ってきたな」とほっとするのは、十津川の山々が見えたとき。山に守られている、というか。記憶に残っている景色なんですね。

<十津川ネイティブの人と過ごしてもらいたい>

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–おすすめの過ごしかた、ありますか?

観光名所の「谷瀬の吊り橋」「玉置神社」「果無(はてなし)集落」はもちろんのこと、せっかくだから村内に泊まってみてほしい。十津川ネイティブの人と、一晩ゆっくり過ごしてもらえたら。

たとえば、十津川の人の生活に入りこむような農家民宿。地元のおばちゃんの接客ははじめ、「いらっしゃいませ」もぎこちないもの。でもそのうち、十津川弁でしゃべりだして、田舎のおばあちゃんの家に帰ったような気持ちになります。

それから、「せせらぎの里」。養魚場でアマゴを育て、川辺の丸太小屋で、フルコースで料理を味わいます。オーナーの前倉さんは、75歳を越えてなお、勉強熱心な方なんです。「アマゴの寿司を握りたいから、大阪で勉強してくる」と話していました。

あとは、日本の滝100選にも選ばれた笹の滝ですね。電波も入らない道を進むと、むきだしの自然があらわれます。滝の音、流れる風の勢いが、もう。

滝ってお年寄りが見るイメージがあったんですが。

そう思った人にこそ、行ってほしいんです。

あ!

もう一つだけ紹介してもいいですか(笑)?東さんが、瀞峡(どろきょう)を自作の小舟“かわせみで遊覧してくれるんです。

東さんだから知るかくれスポット、花の名前、あります。川舟にゆられて、風を受けて、目の前には断崖絶壁が広がります。ぜひ。

<神納川で大人になった>

–神納川地区は5集落合わせて80人。みなさんどんな風に生活をしているんですか。

2011年に紀伊半島豪雨災害が起きたときの話なんですけども。

その日、僕は神納川地区の五百瀬(いもぜ)集落にいたんです。土砂が崩れ、道が途切れて。ネットも、電話も通じません。「十津川で何が起きているんだ?」という状況の中、五百瀬の人たちが、隣りの集落まで歩いたんです。

そこに、法事で帰省中の夫婦と赤ちゃんがいました。おむつの替えもないし、おっぱいもあげなきゃいけない。「まず彼らの安全を確保しよう」と。そこからが早かった。役場の人と連絡をつけて、ドクターヘリが着陸できる場所の目途をつけて。次に集落からの道づくりです。ツルハシで道をつけて、木を切って、橋をかけて。2日後、その家族はヘリに乗れました。

僕はただただ圧倒されて。だって、五百瀬の人たちは道も、景色も、家も。自分たちの日常がなくなっているんですよ?そんな時に、他人を優先して動ける精神。今必要なことを考える思考。ツルハシ、ノコギリ、ナタで道をつける技術。自分にはどれ一つとしてなかったんです。

「ATMでお金をおろしてきて」「大阪まで電車のキップを買ってきて」と頼まれたら、僕のほうが早いですよ。でも、人が本来持っているたくましさや、助け合う心を持っているのが神納川の人たちで、人として学ぶことがとても多かったです。

日ごろから、学ぶことは色々あるんです。だから僕は神納川で大人にしてもらった、という気持ちが強いんです。

今はどうですか。

岡田さんと一緒に、神納川の生活を楽しめる機会を形にしています。ぜひ、トライアルステイで来た人にも参加してほしいんです。

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外から訪れた人と、神納川で出会うこともあります。2017年の5月には、カンボジアのサンボープレイクック地区から視察が訪れました。

たとえば盆踊り。何度かの練習を重ねて、8月13日に本番を迎えます。一緒に踊ったり、当日の会場設営をしたり。いいもんですよ。それから、十津川の保存食である“ゆうべし”づくりもあります。

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神納川地区では、岡田さんをはじめUターンが現れ、定年退職された方や東京都からご夫婦が、Iターンして。人が動きはじめています。

相談をいただけたら、十津川村歩きの案内もできると思います。気軽に声をかけてみてくださいね。

<十津川村トライアルステイ>

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<十津川の人>

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