やりたいことやって生きる。鳥羽市の高校生に知ってほしいキリビリの3年間(後編)クレープ&カフェバーKILLIBILLI /三重県鳥羽市
Toba chairs(トバ チェアーズ)は、三重県鳥羽市が企画する仕事紹介プロジェクトです。紹介するのは、鳥羽市在住の2人のクリエイター。第4弾として、「クレープ&カフェバーKILLIBILLI」を紹介します。
(文 鼻谷年雄/写真 佐藤創/ ロゴデザイン 勝山浩二/ 編集 Kii)
「店長をやるなら全部任せてほしい」と言った
伊勢市駅からすぐの、人通りの多い道に面したビルの1階。ここにキリビリ伊勢店はあります。
オーナーの鳴川真俊(マサ)さんは、伊勢市出身。鳥羽店のオープニングスタッフを経て、2017年12月より伊勢店の店長に。2019年1月からは、2代目オーナーを譲り受けました。
鳥羽とは雰囲気が違うね。
マサ キリビリのコンセプトは海。鳥羽店は“港町”を、うちは“船内”をモチーフにしています。伊勢店を出すとき、坂田さんに「店長をやるなら全部任せてほしい」と言いました。改装も、できる限り一人でDIYです。リキュールを並べているカウンターもつくったんですよ。材料はホームセンターで揃えて、2万円くらいで。
東京行きたい、みたいなのは?
マサ こっちのほうが居心地いい。専門学校のとき名古屋に住んでたんですけど。逆に地元の良さに気がついて。仲間がいる。周りもけっこう、親の店を継いでる。で、みんな意識が高い。こないだは多気町の酒蔵へ勉強に行ったり。
自分で店を経営して、どうですか?
鳥羽店からのお客さんに「変わったね」って言われました。もともと飲食店って一番やりたくないタイプの仕事だったんで(笑)。でも、どれだけおいしいクレープがつくれても、接客が最悪だったら二度と来てもらえない。これからやっていくなら、接客大事だなって。そんな気になったのは最近です。
これからの目標は?
マサ 自分が一番おいしいと思うクレープを出すこと。キリビリのクレープの売りは生地。トッピングよりも生地の味です。
クレープというとクリームやフルーツが盛りだくさんのイメージがあります。
マサ 本場のフランスは生地が中心のスタイルだし、日本でもほかの地域に行けばある。三重県で数あるクレープ店の中で、「生地を味わうクレープならキリビリが一番」と言われたい。店の改装もまだまだで、食事やお酒のメニューも増やしたいし、やりたいことは頭の中にいっぱいあります。でも、実現するのは大変で、まだまだこれからです。
働き始めたら次々と目標ができて
鳥羽店はこの3月で閉店。店長の田岡万弥(マヤ)さんは、次のステップを目指しています。
マヤ 私、高校の頃はとくにやりたいことがなかったんですよ。「卒業したらなんとなく専門学校かな」って。周りが行くし、自分も。それが働き始めたら、次々と目標ができて。
そういえば今日のスタッフの方は、高校生?
マヤ 彼女は商船(鳥羽商船高等専門学校)の3年生で、土日だけアルバイトに来てもらってます。
商船ていうと、船やコンピューターを専門にしているんじゃ。
学生 制御情報工学科です。学校ではアプリの開発とかを勉強しています。
将来の夢はプログラマーとか?
学生 うーんと、最近ちょっとパティシエにも興味が出てきて。学校の近くでそんな仕事ができるバイトを探したんです。この辺にはない感じのお店で、働けてよかったです。
働き始めたらわかることって多いけど、卒業前にそれを試せるチャンスは貴重ですよね。マヤさん自身は、今後をどう考えていますか?
マヤ しっかり料理をする職場で働きたい。そして、自分ができることを広げたい。
それも、キリビリで店長をやらせてもらったおかげ。今一番人気のシュガーバターは、前はメニューになくて。海外からみえたお客さんから砂糖だけのトッピングでほしいと注文をもらい、よくわからなくて生地とスティックシュガーを渡して苦笑いされたんですよ(笑)。それから、生地の焼き方も一層勉強するようになって。経営でも、学んだことは多い。集客ばかり考えて、スタッフを疎かにしたこともあります。いろいろ失敗したから、見えたことがたくさんある。今だからこそ、また下働きに戻ってやりたい気持ちが出てきたんです。
都会で働きたい気持ちは?
マヤ こっちも東京も好き。
あらためて鳥羽のまちをどう思いますか?
マヤ うちの店には地元から何回も来てくれてるお客さんがいて、本当にありがたいです。お客さんが来てくれなかったら、自分自身の成長もなかったですから。近所のお店の方も差し入れをくれたり親切だなと感じます。
どんな差し入れですか?
マヤ ちらし寿司とか。
鳥羽らしい(笑)。
若くても経営者に絶対なれる
最後に、オーナーの坂田さんに話を聞いてみる。伊勢店は出店費用を回収後、経営権をマサさんに譲りました。一方で、鳥羽は閉店の手続きを終えたところ。
再び居酒屋の店主に戻った今、思うことはありますか?
坂田 「若くても経営者に絶対なれる」。素人集団でも高校を卒業したばかりでも、やり方はあることを彼らが証明してくれました。
師匠について10年で一人前の料理人になる道もあれば、彼らのように自分たちで考えて3年でやる方法もある。キリビリは、僕個人の借り入れによる出資で、若い子たちがやり遂げました。ここで、できるんだよ。
東京や海外に行かなくても?
坂田 都会は、競争が激しすぎる。地方のほうが個人の店を出しやすくておもしろいんじゃないか。リスクになるのはお金。若い人が大きな借金を背負うのはしんどいから、減らせる術は利用したほうがいい。ちなみにキリビリの開業にかかった資金は、鳥羽商工会議所のトバエンというサイトの記事に公開しています。参考にしてください。
ありがとうございます。
おわりに
ここまで読んで、高校生のあなたはどう思いましたか?
僕は、やっぱり「今の自分なりに選んでほしい」と思いました。「都会か田舎か」という進路の選び方もあるけれど、今の楽しさや学べることで決めるほうが、納得いくかもしれません。
鳥羽を出るマヤさんと伊勢に残るマサさんには、ある共通点があります。それは、働いてから世界が広がり、自分なりに次の道を選び直したこと。高校を卒業して働いてから、進学するのもアリ。住む場所だって、働いて成長したら、次のステップで新しく見えてきた場所に跳んで移る。そんな身軽さでよいのではないでしょうか。